アウンサンスーチーと豊臣秀吉と中内功

 

日本では北朝鮮問題の陰に隠れているが、ミャンマーのロヒンギャ問題に対する国際的な懸念が高まっている。ミャンマー国内のイスラム系少数民族ロヒンギャの武装集団が襲撃事件を起こしたことに対し、8月25日に軍が掃討作戦を展開した。この掃討作戦が女性・子供を含めたロヒンギャ民族への組織的な弾圧となり、すでに37万人の難民が発生しているという。

 

ミャンマー政府は、テロリスト排除のための措置だとしている。しかし、大量の難民の発生という異常事態の通り、明らかに行き過ぎで、フセイン国連人権高等弁務官は「政府による民族浄化の動きだ」と非難している。国連は事態を深刻に受け止め、13日に安全保障理事会の緊急会合を開催した。事態の早期鎮静化を期待したい。

 

ところで、ミャンマーの実質的な指導者は、アウンサン・スーチー(以下、人名は敬称略)。スーチーがどこまで今回の軍事行動に関与しているかはわからないが、事態の鎮静化に努めようとしないスーチーに対し、世界的に批判が殺到している。スーチーのノーベル平和賞の取り消しを求めるネット署名が、すでに36万件も集まっているという。

 

今回の件で、歴史上の人物を評価することの難しさを痛感する。1991年にノーベル賞を受賞したスーチーが2008年の民主化を達成したのを機に引退していたら、その名は歴史の偉人として永遠に語り継がれたことだろう。しかし、今回の件で、スーチーの名声は完全に地に堕ちてしまった(さすがにノーベル賞取り消しという異常事態にはならないだろうが)。

 

所変わって日本。数多の戦国武将の中でも断トツで人気を誇るのが織田信長。しかし、信長の天下統一は未完に終わったし、楽市楽座は彼のオリジナルではなく、鉄砲の三段撃ちは後世の作家が作り出した虚構だった。業績はかなり微妙なのに人気ナンバーワンなのは、絶頂期に本能寺の変で憤死したことが大きいのではないだろうか。

 

個人的には、豊臣秀吉の方が、百姓から身を起こしたというストーリー性でも、天下統一・刀狩り・太閤検地など業績という点でも、信長よりはるかに優れていると思う。しかし、秀吉は晩年に2度に渡って朝鮮出兵を強行して、評価を下げてしまった。

 

織田信長は、秀吉と同じくアジア進出を目指していたらしい。歴史のタラレバになるが、もし本能寺の変がなく信長が権力の座にとどまり続けたら、天下統一の後は朝鮮半島、さらには中国に進出し、秀吉のような低評価になっていた可能性が高い。逆に秀吉は、天下統一してほどなく引退ないしは憤死していたら、日本の歴史上最高のヒーローになれただろう。

 

現代のビジネスでも、スーチーや豊臣秀吉のような問題がよく起こる。創業者や中興の祖が、偉業を成し遂げた後、急速に劣化してしまうケースだ。

 

中内功は、1957年にダイエーを創業し、わずか15年後の1972年に三越を抜いて小売業の売上高日本一になった。ここから10年以内に引退していれば、松下幸之助と並ぶ「経営の神様」になったことだろう。しかし、その後、中内ダイエーは、バブルに踊り、業態変革に失敗し、最終的には2004年に破綻した。

 

豊臣秀吉も、中内功も、圧倒的な実績があったし、人事権を掌握していた。そのため、その後劣化し部下や関係者が「うちの殿様(社長)はかなりヤバいぞ」と思っても、排除することは不可能だった。

 

創業者や中興の祖が劣化したらどう対応するかは、非常に難しい問題だ。スーチーの場合、国際社会の批判で政策が是正される可能性はあり、今後の対応が注目される。

 

外部の批判が伝わらないという点でもっとも危険なのは、同族経営の企業である。近年、学界では同族経営(ファミリービジネス)の研究が盛んになっており、同族経営の優位性を主張する論文をよく目にする。しかし、中小企業診断士として多くの同族経営を見てきた経験からは、「そんなに良いもんじゃないですよ」と言いたくなる。

 

たしかに、同族経営には創業の理念を中心にしたぶれない経営、大胆なリスクテイクなど、サラリーマン経営にはない優れた点がある。一方、外部の意見が入らず、従業員の意見すら耳を貸さず、唯我独尊の経営になっていることが多い。ざっくり言うと、同族経営のうち「これはまずい」という会社が6割、「まあ普通かな」という会社が3割、残りのわずか1割が「素晴らしい!」と称賛できる会社だ。

 

無批判に同族経営を礼賛するのではなく、危険性・問題点にも目を向けた冷静な研究を期待したいものである。

 

(日沖健、2017年9月18日)