労働時間の把握は必要か

 

先週の各紙報道によると、厚生労働省は労働安全衛生法(安衛法)施行規則を改正し、従業員の労働時間を適切に把握することを企業などの義務として明記する方針を固めた。政府は、時間外労働の上限規制を含む「働き方改革関連法案」を秋の臨時国会に提出する予定で、関連法施行までに安衛法施行規則を改正するという。

 

安衛法は、時間外労働が月100時間を超えた人が申し出た場合に医師の面接指導を事業者に義務づけており、事業者が従業員の労働時間を把握していることを前提にしている。ただ、企業の現場での運用は不十分で、今回、安衛法施行規則に労働時間の把握を「客観的で適切な方法で行わなければならない」とする文言を盛り込む。パソコンの使用時間やIC(集積回路)カードによる出退勤時間の記録を想定している。

 

長時間労働や過労死が社会問題になっていることから、ネットでは「当然の措置」「しっかりやれ!」という肯定的な受け止めが多いようだ。しかし、実際に法律が施行され、厳格に適用されたら、日本企業の経営に重大な悪影響が及びそうだ。

 

まず、労働時間の把握は、人事部門や職場の管理者にとって負担が大きい。多くの企業はタイムカードを利用した勤怠管理を実施していないので、法改正に対応するには相応のコストが発生する。記録を集計・分析する管理者の負担も馬鹿にならない。

 

しかも、近年、パートタイマー・短時間勤務・テレワーク(オフィス以外で働くこと)など勤務形態が多様化している。さらには労働者の兼業・副業が認められるようになっている。こうした中、タイムカードを導入して勤務時間のデータを収集しても、しっかり働いているか、着席してスマホをいじっているだけなのか、実際の働き具合まで把握するのは困難だ。

 

もちろん、コストと手間が掛かっても、本当に必要なこと、大きなメリットがあることなら腹を決めてやるしかない。しかし、労働時間の把握が本当に必要なのか、どこまでメリットがあるのか、実に疑わしい。

 

タイムカードで労働時間を把握しても、長時間労働や過労死はそれほど減らないだろう。これまでも法令を無視してきたブラック企業は、従業員に一旦タイムカードを通してから残業させたり、自宅で風呂敷残業させたりして法改正に対応するだろう。また、過労死、とくに自殺は、パワハラなど仕事の不当なプレッシャーや人間関係の悪化など精神的ダメージが原因であるケースが多く、長時間労働は副次的な原因にすぎない。タイムカードの効果は限定的だ。

 

それよりも個人的に心配なのが、労働者を時間で管理することを助長する危険性だ。定型化された業務を繰り返す単純労働者は、時間で管理することができる。しかし、知識労働者を時間で管理することはできない。たとえば、ゲームを開発する仕事で、優れたクリエーターは数時間でアイデアを産み出せるが、凡庸なクリエーターは深夜まで大残業して頭をひねってもアイデアが出てこない。単純作業では時間と成果は比例するが、知識労働者の仕事では時間と成果は反比例するのだ。

 

ビジネスと労働が複雑化・知識集約化するほど、時間で管理するべき労働者が減り、成果で管理するべき労働者が増える。報酬も時間給や能力給でなく、成果主義の方が知識労働には相性が良い。

 

日本企業は、高度成長期の工業社会では大いに成功したが、1990年代以降、世界的な知識社会化の波に乗り遅れている。その一つの原因が、製造現場の作業者に適した時間単位の労務管理から、知識労働者に知識労働に適した人材マネジメントへの転換ができていないことである。今回、労働時間の把握を推進することは、こうした転換をさらに遅らせ、日本企業・日本経済の衰退に拍車を掛けることになる。

 

時間による管理を否定し、成果による管理を推奨すると、よく「成果が出るまで働き続けて過労死しても良いのか」という批判を受ける。たしかにそういう懸念はあるが、といって時間で管理しても過労死がなくなるわけではない。労働者の精神・肉体の健康状態をこまめに報告させる、将来的には携帯端末で常時ウォッチする、といった時間管理以外の対策を考えると良いだろう。

 

働き方改革を重要課題として取り上げた安倍政権の着眼点は良いが、肝心の施策は時間による管理を助長したり、解雇規制の緩和に消極的だったりと、方向性を完全に間違えている。臨時国会では、働き方のあるべき姿に関する議論が深まることを期待したい。

 

(日沖健、2017年8月14日)