街灯の下の鍵探し

 

「街灯の下の鍵探し」という古くから伝わる寓話がある。以下のような話だ(色々なバージョンがある)。

 

ある公園の街灯の下で、何かを探している一人の男がいた。そこを通りかかった警察官が、男に「何を探しているのか」と尋ねた。男は「家の鍵を失くしたので探している」と言った。警察官は気の毒に思って、しばらく一緒に探したが、鍵は見つからない。そこで、警察官は男に「本当にここで鍵を失くしたのか?」と訊いた。すると、男は、平然とこう答えた。「鍵を失くしたのは、あっちの暗いほうなんだけど、あそこは暗くて何も見えないから、よく見えるこの辺りを探しているんだ」。

 

資産運用やリスクマネジメントでは、この寓話から管理できるリスクだけを管理しても不十分だと教える。

 

この教訓は、経営学にも大いに当てはまる。情報を収集・分析するのが容易なことだけを研究し、本当に大切なことを研究していないのではないか、ということだ。本当は大切だがあまり研究されていない領域を二つ紹介しよう。

 

一つは「幸運」がある。因果関係の法則性を究明して企業経営に役立てもらおうというのが、経営学の使命だ。「経営では運が大切」と認めてしまうと、経営学の存在意義が失われてしまう。しかし、企業経営において運が極めて重要であることは間違いない。

 

たとえば、警備保障のセコムは、飯田亮が1962年に創業し、1964年の東京オリンピックの選手村の警備を受注して躍進した。日本に存在しない警備保障というサービスを認知してもらう上で、東京オリンピックの受注が大きかった。1年遅れて1963年に創業したら時間切れだし、1年早く創業して成功したら他社も参入して受注できなかったかもしれない。飯田は、オリンピック組織委員会からの依頼をいったん断っている通り、1962年に創業したのはまったく偶然だった。「幸運」がセコムの最大の成功要因なのだ。

 

もう一つは、リーダーシップ論における「人徳」である。一昔前のリーダーシップ論ではリーダーの行動やシチュエーションごとの対応が、近年はメンバーとの関係性が盛んに研究されている。しかし、大事な場面でリーダーに人が付いてくるかどうかは、リーダーに人徳があるかないかが決定的に重要だろう。

 

たとえば、本田宗一郎は、自動車修理工から身を興し、一代で世界的な自動車メーカーを築き上げた。発展の過程で、ハーレーダビッドソンの牙城であるアメリカのオートバイ市場に参入したり、通産省の制止を振り切って自動車事業に参入するなど、無謀な挑戦があった。そのとき、従業員や関係者が「そんな無謀な挑戦には付いていけません」ではなく、「本田社長のことを信じて付いていこう」と一丸となったのは、本田の人徳や事業発展に命を懸ける姿勢によるものだろう。

 

運そのものは確率現象なのだが、経営の成否に運がどう作用しているか、運を生かして成功するにはどうするべきか、といった“運の周辺”は大いに研究するべき分野だと思う。人徳を明確に定義し、人徳を高める方法を明らかにすれば、過去百年間の経営学研究よりはるかに大きな実践的価値があることだろう。

 

運や人徳は、データが取りにくいので、実証を重んじる最近の経営学研究では無視・軽視されている。しかし、「研究しにくいからスルーしよう」ではなく、「大切なことだから何とか研究してみよう」という風に変わる必要がある。

 

以上、先週・今週と2度にわたり経営学に対する批判・疑問について書いた。最新の経営学には価値がない、研究しやすいことだけに注力し重要なことを研究していない、総じて「経営学は役に立たない」、という批判を学者・教育者・コンサルタントは真摯に受け止めてほしい。

 

ただ、一般の社会人が「だから、経営学を勉強しても時間の無駄」と決めつけるのは危険だ。われわれはともすると勘・経験・度胸(KKD)に頼って仕事をしがちだが、不透明な状況、かつて経験のない状況に立たされたときほど、科学的なアプローチで実証的・論理的に考えて仕事をすることは大切だ。経営学の中身はあまり役に立たないが、科学のアプローチは有効なのだ。

 

(日沖健、2017年7月31日)