引き際は本人が決めること?

 

プロ・ゴルファーの宮里藍(以下、人名は敬称略)が先週引退を表明した。宮里は高校時代にプロデビューし、現在31歳。素人目にはまだまだ活躍できると思うのだが、世界ランク1位にまで上り詰めた超一流選手にとって、ベストの状態でプレーできないのは我慢ならないのだろう。

 

ベストの状態でないというと、気になるのは野球のイチロー。アベレージヒッターのイチローが打率1割台に低迷しているのは、本人も納得行かないだろうし、ファンも心配だ。43歳という年齢もあり、ファンは「引退」の2文字をどうしても意識してしまう。

 

野球評論家の張本勲は、5月14日TBS系「サンデーモーニング」でイチローについて「今年で辞めるかな」「(今の状態で現役を続けるのは)プライドが許さないだろう」と述べた。この張本の発言に対し、ネットでは「引き際は本人が決めること、外野がとやかく言うな」という批判が噴出している。

 

張本の発言は、内容的にはファンなら誰しも感じていたことだ。問題は、それを評論家・マスコミ・ファンといった“外野”が口に出して論じることの是非だろう。

 

個人的には、“外野”がプロスポーツ選手の引き際を論じるのは「あり」だと思う。イチローが趣味でひっそり草野球を楽しんでいるなら、続けようが辞めようが本人の勝手だ。しかし、プロとして金をもらってプレーし、公共の電波に頻繁に露出している以上、色々な意見が出てくるのは当然だ。活躍したら喝采し、ダメになったら黙ってろ、というのは理屈に合わない。私もイチローのファンなので、引退を取り沙汰されるのは不愉快だが、プロスポーツ選手として致し方ないことだと思う。

 

ところで、論じること以前に、「引き際は本人が決めること」という考え方は正しいだろうか。スポーツ選手だけでなく、不祥事を起こした政治家についても、よく「出処進退を本人が決めるべき」と言われる。たとえば、東日本大震災の被災者に数々の問題発言をした今村前復興担当大臣に対し、自民党・二階幹事長は「今村氏は政治家として自らの出処進退についてよく考えるべきだ」と辞任を促し、今村前大臣は自ら辞任した。

 

今村前大臣は、仮に辞任しなくても、自民党から処分を受けるか、最終的に次の選挙で落選しただろう。イチローも、自ら引退しなくても、いずれチームが契約しないという形で引退に追い込まれる。本人が決めても決めなくても、最終的な結果は同じなので、なんら問題ではないという気もする。

 

厳格に市場原理が働くスポーツ選手については、出処進退を本人の判断に委ねるべきというのはその通りだと思う。しかし、政治家や企業経営者については、大きな問題がある。

 

自ら潔く出処進退を決めるはたしかに理想だが、人間はなかなか自分の過ちを直視できないものだ。最終的に政治家なら選挙で、経営者なら株主総会で職を追われるというものの、それまでの間、問題の政治家・経営者によって国民や従業員が迷惑をこうむる。そもそも、選挙や株主総会は意思決定機関としてあまりにも不完全で、問題の政治家・経営者を排除するのは容易ではない。

 

企業の場合、とくに厄介なのが創業家出身のダメ経営者や過去に大きな実績を上げたがその後堕落してしまった現ダメ経営者だ。法的には創業家といっても何ら特別な存在ではないのだが、サラリーマン社長の場合と違って創業家の経営者を排除するには相当な理由が必要だ。解職は経営者の実績を否定することになるので、大きな実績を残した経営者に対し、「それは昔の話ですから」とはなかなか言いにくい。

 

形骸化した株主総会には任せていられないということで、現在、政府の旗振りで指名委員会の設置が進められている。指名委員会等設置会社では、社外取締役で構成された指名委員会が取締役の選任・罷免を審議して候補者を株主総会に諮る。ダメ経営者を排除できる仕組みが確立されたわけだが、社外取締役は実質的に経営者によって選ばれるので、飼い犬が飼い主を排除できるのか、実効性は甚だ疑問である。

 

企業の発展に最も重要なのは経営者の手腕であり、企業にとって最も大きなリスクはダメ経営者が居座り続けることだ。引き際は本人が決めることを当たり前とせず、ダメ経営者を排除する実効性のある仕組みをさらに検討するべきだろう。

 

(日沖健、2017年6月5日)