報道によると、経営危機に陥っている東芝は、資金調達のために半導体事業を売却する時期を4月以降に先送りする方針を固めた。これによって、2017年3月期決算で債務超過の状態を解消できず、東証1部から東証2部に降格することになる。
主力銀行が4月以降も融資を継続する方針なので、当面は日本を代表する名門企業が破たんするという最悪の事態は免れることができそうだ。ただ、赤字を垂れ流す原子力事業の回復が見込めない中、虎の子の半導体事業を手放した東芝が経営再建できるのか、予断を許さない状況が続く。
ところで、個人的に気になっているのは、記者会見に登場した綱川智社長だ。
2月14日の決算発表で綱川社長は、東芝が債務超過に陥ったことや半導体事業の売却が難航していることを淡々と説明していた。口では「全ての関係者に迷惑をかけ、心よりおわびする」と謝罪したものの、悔しさ・怒り・無念さといった感情を微塵も見せなかった。「よし、これから会社を立て直すぞ!」という闘志・意欲を示すこともなかった。社長の記者会見というより、新人アナウンサーが外国で起きたニュースを読み上げている印象だった。
綱川社長の心中を察するに、「東芝が傾いたのは俺のせいじゃない、悪いのは西田だ」「こんな時期に社長を任された俺って、なんて運が悪いんだ」というところだろう。
東芝が転落した最大の原因は、原子力事業に経営資源を集中したこと、その原子力事業で米ウェスチングハウスを超高値で買収してしまったこと、そのウェスチングハウスが極度の経営不振に陥ったことだ。これらを周囲の反対を押し切って意思決定し、強力に推進したのは、2005年から2014年まで社長・会長であった西田厚聰氏である。
綱川社長は、一昨年に経営危機が表面化したことを受けて敗戦処理のために昨年6月に社長に就任した。「俺のせいじゃない、俺はむしろ被害者だ」という態度を見せるのは、理屈としても、心情としても、大いに理解できるところだ。綱川社長の立場に立たされたら、私を含めてたいていの人がそう考えるだろう。
ただ、西田氏がすでに経営を退いている現状で、東芝の利害関係者に対して責任を果たすのは、現経営者である綱川社長において他にない。その綱川社長が第三者的な態度を見せると、まさしく第三者である銀行・投資家・顧客・サプライヤー・パートナーなどは「当事者の社長もサジを投げたオワコンの東芝と、なんでわざわざ付き合わなくちゃいけないんだ」とそっぽを向いてしまうだろう。資金が底をつき、信用も失われた東芝に関係者がそっぽを向いたら、いよいよ破たんが現実のものとなる。
綱川社長が東芝を救いたいなら、演技でも、空元気でも、空手形でも、「今回は無念です。このような事態に陥ったすべての責任は、経営者である私にあります。東芝再生のために命を賭けますので、皆様のご助力をお願いします。東芝を、そして私を信じてください!」と涙を流して訴え、土下座するべきであった。
綱川社長は、おそらく自分の考えに正直な良い人物なのだろう。しかし、この大事な場面で自責的な態度を取ることができないのは、リーダーとして失格ではないか。
今回の大事件に限らず、ビジネスでは、前任者のせいで後任が大迷惑を被るということがよくある。前任者から「優良顧客だよ」と言われて引き継いだ取引先は倒産寸前のオンボロ企業だった、前任者が無茶苦茶にカスタマイズした情報システムをマニュアルもなく押し付けられた・・・。
こういうとき、たいてい綱川社長と同じように「俺のせいじゃない」と他責的に考えてしまう。しかし、経営者・マネジャーといった人の上に立つ立場にあるなら、そういう考えをぐっと押し殺して、自責的な態度を取るべきだ。
他人を通して組織の目標を達成するのがマネジメントであり、マネジャーに部下など他人がついてくる必要がある。他責的で保身を優先するマネジャーには、「なんで課長の保身のために協力しなきゃいけないんだ」ということで他人がついてこない。逆に自責的なマネジャーには、「よし課長を手助けして課を盛り上げていこう」ということで他人がついてくる。どちらが難局にうまく対処できるか、言うまでもない。
マネジメントのたいていのことは理屈が立つ。しかし、一番肝心な他人が付いてくるかどうかは、必ずしも理屈ではないのだ。
(日沖健、2017年2月20日)