カジノはダメなのか?

 

カジノを含むIR・統合型リゾート施設の整備を推進する法案、通称カジノ法案の国会審議が大詰めを迎えている。与党側は、国会の会期を延長して今国会中に法案を成立させる意向だが、野党は強く反対している。強行採決となるのか、国会審議と法案の行方が注目されている。

 

私は安倍政権の経済政策・アベノミクスに批判的だし、カジノ法案を巡る与党の強引な国会運営は感心しない。ただ、カジノ法案そのものについては、無事に法案が成立し、日本に本格的なカジノが生まれてほしいと思う。

 

賛成の理由は単純で、ラスベガス・マカオ・シンガポールなどの成功に見るように、観光立国を目指す日本にとって、カジノは外国人観光客を引き寄せる有望な観光資源になるからだ。もちろん、良いことばかりではないが、反対意見は十分に対処可能だと思う。

 

カジノに反対する意見は、だいたい3つ。一つ目は、ギャンブル依存症が増えるのではないかという懸念、二つ目は、集客がうまく行かず、産業振興にはならないだろうという経済面の懸念、三つ目は、ギャンブルそのものへの拒絶反応である。

 

1つ目のギャンブル依存症が増加する可能性はたしかにあるのだが、反対論者は、危険性を針小棒大に騒ぎ立てているのではないか。外国人の入場者にはパスポート、日本人の入場者には写真入りマイナンバーの提示を求めるなど入場者をきちんと制限すれば、大きな問題に発展するとは思えない。それでも心配というなら、ギャンブル依存症が明確に増加したらカジノを廃止するという条項を法案に盛り込むのはどうだろう。

 

2つ目の経済面については、反対論者は、海外のカジノ資本が日本に巨額の投資をする効果や雇用増加の効果を過小評価している印象だ。個々のカジノは、当然、うまく行く場合もあれば、うまく行かない場合もある。候補として挙がっている東京・横浜・大阪はおそらく成功するが、それ以外の地方都市(たとえば釧路)が村興しで始めても失敗するだろう。しかし、どんなビジネスでも成功と失敗があるわけで、失敗の可能性があるから認められない、というのはまったく非論理的だ。

 

というわけで、冷静に損得を分析すると、カジノを拒否するのは難しい。おそらく反対論者は、色々もっともらしいことを言ってはいるものの、3つ目の理由、ギャンブルそのものへの拒絶反応が根底にあるのではないだろうか。ネット世論だけでなく、普段は政府・与党に好意的な読売新聞でさえ社説で「人の不幸を踏み台にするのか」と書いている。

 

「ギャンブルは悪だ。ダメなものはダメ」と言われると、これ以上議論のしようがない。それが日本国民の総意というなら、残念ながら、カジノ法案が廃案になるのもやむをえない。

 

ただ、その場合、反対論者は2つのことを考える必要がある。

 

一つは、国内の他のギャンブルの扱いだ。「ギャンブルは悪」というなら、公営ギャンブルはOKなのか。それよりも、パチンコはどうなのか。全国各地にあり、年中誰でも気軽に入り浸れるパチンコは、カジノよりはるかに悪影響が大きい。パチンコ依存症は、すでに深刻な社会問題になっている。カジノ反対運動をする暇とエネルギーがあるなら、まずパチンコ廃止運動を優先するべきではないか。

 

もう一つは、日本経済の将来だ。「日本はモノづくりの国だ」と言う人がいるが、将来若い働き手がいなくなり、モノづくりは成り立たない。製造業に代わる中核産業の育成が急務だ。幸い日本の観光業は、日本でしかできないし、インバウンド需要を取り込んで近年急成長し、いまや自動車産業を上回る規模である。東京オリンピック後もこの流れを続けていくには、現状に安住せず、新たな観光資源を開発し続ける必要がある。反対論者には、反対だけでなく、観光業に代わる産業、カジノに代わる新たな観光資源を提示してほしいところだ。

 

ギャンブルがある社会とない社会なら、ない社会の方が良い。しかし、ギャンブル(あるいは風俗産業)がなく、しかも経済が成長するというのは、今後の日本ではちょっと考えにくい。対案を持たずに理想論を振りかざすのは、「自分たちが生きている時代・生活する地域さえ良ければ良い」という無責任な姿勢に写るのである。

 

(日沖健、2016年12月12日)