この十年ほど、仕事に賭けるのと同じくらいの情熱を注いで株式投資に取り組んでいる。ただし、勝ったり負けたりで、成果はあまり芳しくない。
「なぜ株式投資をしているんですか?」と聞かれれば、当然「大儲けして、お金持ちになりたいからです」と答えるのだが、最近「本当に儲けたいんだろうか?」と疑問に感じるようになってきた。
考えてみると、株式投資は不思議なゲームだ。他の勝負事は、ゴルフならハンデがあるし、相撲やボクシングならクラス分けがある。ところが株式投資には、こうした制約条件がまったくなく、プロの投資家と私のような素人が同じ土俵で勝負する。しかも、ゴルフなら負けても大したことないのに対し、株式投資は下手すると全財産を失い、人生を破たんさせてしまう。
株式投資で勝てるか、勝てないか、というのは難しい問題だ。各国の経済は長期的に成長するので、市場平均に連動したインデックス商品を買って長期保有すれば、高い確率で財産を増やすことができる。ただ、短期的には株価はランダムウォーク(千鳥足の動き)をするので、短期投資の場合、勝つか負けるかはほぼ五分五分。手数料や税金を考慮すると、プロも含めて大半の投資家が負けてしまう。
つまり、短期投資に関しては、株式投資は基本的に勝てないゲームなのだ。「俺は他の投資家にない特別な才能があるから勝てる」と自信満々のプロの投資家は多いが、戦う相手もプロなので、勝ち続けるのは困難だ。ましてスキルや情報力で劣る個人投資家の勝率は非常に低い。
冷静に考えれば敗けるとわかっているゲームに、なぜ投資家は挑戦するのだろうか。「俺は特別だ」といううぬぼれや職業として運用を担当する場合を除くと、おそらく3つ理由がある。
第1に、投資家はギャンブルとして投資を楽しむ。競馬やパチンコと同じように、株式投資にはギャンブル特有の高揚感がある。株式投資は、負ければ破産するリスクと隣り合わせだし、難易度も高いので、勝った時の爽快感は他のギャンブルよりも格段に大きい。
第2は、投資家は自分の能力を試し、自分の偉大さを証明するために投資に挑む。株式投資は、経済・企業経営・金融に関する高度な知識・分析力・決断力を必要とする知的格闘技だ。自分の知力に自信があり、それをあまり認められていない人にとって、株式市場は自分の存在意義を証明する格好の舞台である。
第3に、投資家は勝負に負けて敗北感・無力感を味わいたい。この3点目は大いに異論があるだろうが、人は、何かに叩きのめされ、絶望したい、という欲求がある。競馬に大負けし場末の飲み屋で飲んだくれる寂しい後ろ姿に、強くあこがれる。とくに安定した仕事をしているビジネスパーソンにとって、株式投資は、普段なかなか味わえない敗北感・無力感を味わう絶好のチャンスだ。
このうちどの要因が優勢かは、もちろん人それぞれだ。ただ、誰も口外しないものの意外と優勢なのが、第3の理由ではないだろうか。「負けたい、打ちのめされたい、破産の淵を見てみたい、でも破産はできない、人には言えない・・・」。
ところで、この15年間、経営コンサルタントとして企業の新規事業創造の案件を見てきて、「本当に勝つためにやっているのか」と疑問に思うことがたびたびある。案外多くの企業が、冷静に見ると市場性がない、自社の経営資源では対応できない、といった新規事業に果敢に、いや無謀に挑むのだ。
当然、「やめておいた方が良いですよ」とアドバイスするのだが、あにはからんや、そういう無謀なチャレンジが功を奏することがある。思い起こせば、セコムの機械警備システムも、セブンイレブンも、ヤマト運輸の宅急便も、役員会で社長以外の全員が反対した通り、無謀な挑戦だった。合理的な思考は他社もするわけで、他社にない画期的な新規事業は、非合理的な思考から生まれるのだろう。
株式投資と違って、企業はギャンブルを楽しむため、敗北感・無力感を味わうために新規事業に挑むことはない。他にも色々と違いはある。ただ、リスクへの挑戦であることや負けるとわかって挑むことなど、本質において株式投資との共通点も多い。
株式投資をする人は新規事業を学ぶと、新規事業に取り組む企業関係者は株式投資を学ぶと、色々なヒントが得られるのではないだろうか。
(日沖健、2016年12月5日)