企業の経営幹部や管理職に対して研修を実施する機会をたくさんいただいている。このクラスだと、理論・技法を解説し、他社事例を紹介し、「はい、知識が増えて良かったですね!」で終わりにできないので、学習内容を自社に適用し、研修テーマに関する自社の課題を検討しようということになる。そういう検討で、たびたび自社の経営課題として取り上げられるのが、「人材育成」だ。
多くの日本企業にとって、人材育成が重要な経営課題であることは間違いない。1990年代のリストラや採用抑制の影響で、40代の管理職クラスは手薄だ。製造業では、経験豊富で人数が多い団塊の世代がごっそり退職し、現場のオペレーションを維持するのが困難になっている。グローバル化やIT化などの変化に対応できる専門人材も少ない。よほどの超優良企業は別として、優秀な人材が十分に揃っているという企業はほぼ皆無だろう。
人が育ち、活躍するのは良いことだ。もちろん、教育訓練や研修にはコストがかかるが、それを考えなければ、人材育成そのものには反論の余地がない。そのため、研修で受講者が「人材育成が当社の経営課題です」と発言すると、他の受講者は、水戸のご老公から印籠を突き付けられた悪代官のように「ヘヘーッ」となって、一気に議論が盛り下がっていく。
しかし、経営幹部や(人事部門以外の)管理職が人材育成をことさら連呼するのには、実に大きな問題が潜んでいる。何がいけないのか。
管理職については、まず、人材育成の場である研修に自分がいることの意味を考えるべきではないか。本来研修は、まだスキル・経験が足りない新人・若手が主たる対象のはずだ。職場運営で多忙な管理職がわざわざ研修に呼ばれるのは、管理職として満足なレベルに達していないということを意味する。「部下が育っていない」と嘆く前に、自分が管理職として満足なレベルに達しているかどうか、真摯に我が身を振り返る必要がある。
また、自職場の新人・若手を育成するのが管理職の重要な責務のはずだ。人材育成を口にする管理職は、「私は与えられた責務を満足に果たしていません」「自分はダメな管理職です」と告白しているに等しい。か細い声で反省するならともかく、大声で人材育成について語る管理職を見ると、「こいつ大丈夫か?」と心配になってしまう。
それよりも問題なのが、経営者だ。たくさんある経営課題の一つとして人材育成に触れるならいいが、「人材育成が当社の最重要課題だ」と言われると、絶句してしまう。人材育成が最重要の経営課題と言えるのは、経営者が優れたビジョン・戦略を打ち立て、合理的な制度を導入し、組織体制を整えるなど、やるべきことをすべてやり切ったが、人材不足で成果を実現できていないという場合だけだ。しかし、そういう努力を十分にしていない経営者に限って、二言目には「人材育成」と連呼する傾向があるように思う。
「敗軍の将は兵を語らず」という故事がある。本来、経営者が兵である人材に言及するのは、たいへん恥ずかしいことだ。「兵隊が強かったから勝ちました、兵隊が弱かったから負けました」では、軍を率いる将としてあまりに芸がないではないか。経営がうまく行っていないなら「すべては自分の責任」とし、人材不足でも弱音を吐かず、「自分の責任で経営を立て直す」という決意で難局に立ち向かうのが、真っ当な経営者の姿勢であろう。
いずれにせよ、経営者・管理職が人材育成を連呼する企業に、ろくな企業はない。投資家なら資金を引き揚げるべきだ。就活中の学生なら就職するべきではない。
私の経験の範囲では、人材育成を連呼する経営者・管理者に限って、満足な人材育成をしていない。逆に、優れた経営者・管理職は、口にしないだけで、着実に人材育成を進めている。なかなか興味深い、経営者・管理者は注意したい対比である。
(日沖健、2016年10月3日)