空売りは悪なのか?

 

先週27日、アメリカの空売りファンド、グラウカス・リサーチ・グループは、伊藤忠商事が当期純利益を過大計上する不正会計の可能性があるとする報告書を公表した。日米の金融政策決定会合の陰に隠れてあまり話題になっていないが、重大な事件ではないだろうか。

 

空売りとは、投資家が株を借りて売却し、その後買い戻す投資方法で、売却価格よりも買い戻し価格の方が安ければ投資家は利益を得ることができる。グラウカスは、伊藤忠商事の適正株価を631円と見て空売りしており(現在の株価は1172円)、株価が不正会計に反応して下落すると見込んでいる。グラウカスはアメリカで活動する空売り専門の投資ファンドで、伊藤忠商事はグラウカスの日本市場進出の最初の標的になったわけだ。

 

伊藤忠商事は即刻、「不正会計はない」というプレスリリースを公表した。グラウカスの報告書を読んでみたが、連結決算の範囲に関するかなり専門的な内容で、不正会計と言えるのか、よくわからなかった。ただ、不正会計なら金融商品取引法が禁ずる「有価証券報告書虚偽記載」に該当するし、グラウカスの報告書が出まかせなら、同法が禁ずる「風説の流布」に該当する。どちらに転んでも重大な問題であり、今後、真実が明らかになることを期待したい。

 

ところで、今回、個人的に興味を引いたのは、日本取引所など市場関係者の反応だ。日本取引所の清田瞭CEOは28日、「(グラウカスによる)不自然な取引があったかどうか調べることも可能」「(グラウカスの取引は)倫理的に若干疑問がある」などと述べた。金融庁や証券取引等監視委員会も、グラウカスの取引に関心を寄せているという。たとえが悪いかもしれないが、清原和博容疑者よりも、清原容疑者を告発した週刊文春を「けしからん」と問題視している格好だ。

 

この日本取引所の反応に見るように、日本では一般市民だけでなくプロの市場関係者も空売りを悪・邪道と考えているようだ。株主は、事業活動に必要な資金を供給し、事業活動の成果を株価上昇・配当という形で享受する。株式投資では、企業の発展を応援する「投資=買い」が王道で、企業の災難に乗じて株価下落で儲ける空売りは邪道だ、というわけだ。

 

しかし、空売りは邪道どころか、株式市場にとっても、企業経営にとっても大いにプラスになる、極めて重要な存在だ。

 

まず、空売りによって市場の流動性が確保され、相場が安定する。流動性とは、売り手と買い手がたくさんいて、好きな時に自由に売買できるかどうかだ。制度的に空売りができない銘柄は、いったん株価が下落すると、買い手が現れず、下落がなかなか止まらない。ところが、空売りができる銘柄では、株価下落時には空売りの利益確定の買い戻しが入るので、下落が止まる。株式の売買は売り手と買い手の双方がいて成立する。空売りのない買い方だけの市場は、流動性が低く、株価が乱高下する。

 

それよりも注目したいのが、空売りが経営者に高度な規律をもたらす機能だ。空売りが成功しやすいのは、経営内容が良くないのに、株価が不当に高く維持されている企業だ。空売り投資家は、こういう標的を探し求め、空売りのチャンスを伺っている。逆に言うと企業経営者は、空売りの標的にならないように、規律ある経営をして業績を良くするとともに、正しく株価が評価されるよう財務内容の開示に努める。空売りが企業経営の番人の役割を果たすのだ。

 

今回のグラウカスのことは定かではないが、私の知る空売り投資家は、例外なく勉強熱心だ。企業の財務諸表を丹念に読み込み、経営戦略が適切かどうかを確認し、妥当な株価水準を算定し、相場を注視して売りのチャンスを伺っている。世間の悪評を気にせず、自分たちの投資が市場と企業を発展させるという信念を持っている。

 

それに比べて、むしろ買い方が市場と企業をダメにしているのではないか。勢いに任せて買い漁るバブル投資家は論外として、日本特有の株式持ち合いは、買うだけで売らないので、経営者に対する規律が働かない。CSRファンドや長期投資ファンドも、企業を応援しているというと聞こえは良いが、逆に経営の規律を弱め、企業を衰弱させている可能性がある。

 

残念ながら、日本では空売りで大成功を収めた投資家はいない。アメリカでは、イングランド銀行を打ち負かしたジョージ・ソロスなど著名な空売り投資家がいるし、空売りファンドも多い。今回のグラウカスの一件で、空売りに対する正しい理解が広がり、株式市場と企業経営が発展するきっかけになってほしいものである。

 

(日沖健、2016年8月1日)

 

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