国債暴落が議論にならない不思議

 

先月、政府は当初2017年4月に予定されていた消費税率引き上げの再延期を決定した。足元では、バーナンキ前FRB議長が来日し、安倍首相・黒田日銀総裁と会談したことから、永久国債を原資に財政支出をする“ヘリコプターマネー”が取りざたされている。いずれも、景気刺激の効果はともかくとして、財政に関しては、財政再建をいよいよ困難にし、国債の信用を低下させる政策だ。

 

国債に借入金や政府短期証券を合わせた「国の借金」の残高は、2015年度末時点で1049兆円(国民1人当たり826万円)に達し、世界最悪の財政状況だ。しかも、団塊の世代が後期高齢者になる2025年以降、財政悪化はさらに加速する。消費税増税再延期とヘリコプターマネーは、これに追い打ちをかける話しだ。

 

本来なら、日本国債の信用不安を懸念する声が一気に高まりそうなものだが、市場は至って静かだ。三菱UFJモルガンスタンレー証券の植野大作氏がロイターの7月5日付コラムで国債暴落への懸念を表明したのが目立つくらいで、全般に国債暴落に関する議論は低調なままだ。

 

国債暴落に関する議論が高まらないのはなぜだろうか。

 

まず、国債暴落は1990年代から20年以上も言われ続けてきたテーマで、皆が飽き飽きしているという点が大きい。経済学者や市場関係者は、“オオカミ少年”と批判されることを恐れているようだ。また、日本では財務省が国民に不人気なので、「財務省の手先」とレッテルを貼られるのを避けたいという心理もありそうだ。

 

当事者である財務省も、財政状態が悪化しているのと逆に、以前より懸念の表明を抑えている印象だ。強力な安倍政権に押されて言えないのだろうが、自分たちが騒ぐことで国債暴落の引き金を引いてしまうのを恐れている可能性がある。

 

政治家は、景気対策で財政支出を増やしたいので、自分たちの手足を縛る財政・国債の話を避けようとする。こうして、国債暴落のリスクが高まっているのに、誰も国債のことを語らないという不思議な状況になっている。

 

国債暴落を懸念する声に対しては、いくつか反論がある。一つは、日本はバランスシートの右側の借金が多いが左側に同じ額の資産があるではないか、さらに家計には1,706兆円もの金融資産があるではないか、という主張、もう一つは、現実に国債暴落=金利急騰どころか歴史的な超低金利で、国債は信用されているではないか、という主張だ。

 

しかし、資産があるといっても、道路やダムを売却して現金化するわけにはいかないので、借金返済の原資にはならない。政府総債務から政府が保有する金融資産を差し引いた実質債務は対GDP比127%で、ギリシャに次いで世界ワースト2位だ。家計に金融資産があるといっても、消費税引き上げすらできないわが国で、財産没収に近い大増税をするのは極めて困難で、やはり借金返済の原資にはならない。

 

現在、たしかに日本国債は歴史的な超低金利だが(ほとんどの年限で流通利回りはマイナス)、これは世界の投資家から信任されているというより、年80兆円を目標に日銀が国債を爆買いしている結果と考えるべきだろう。日銀の国債買い入れは来年あたり臨界点に達する見込みで、マイナス金利政策とともに早晩行き詰まる。超低金利が今後も長期に渡って続くと考えるのは無理がある。

 

こうしてみると、国債暴落のリスクは着実に高まっている。「2025年までに国債暴落があるか」と言われたら自信を持てないが、日銀の打ち手がなくなる再来年以降いつ起きても不思議ではない。大地震と同じで、過去起こらなかったから大丈夫、いつ起こるかわからないから対策を打たなくてもいい、ということにはならないはずだ。

 

本来、国債の信用が懸念されたら、金利が上昇して政府に警告を与える。ところが、日銀の支配によって、こうした市場の警告機能は完全に失われてしまった。となると、誰かが警告を発するしかない。

 

アナリストのような市場関係者は人気商売なので、顧客への受けが悪い話をしないのは致し方ない。一方、政治家も人気商売なのだが、そこは国の発展を願う信念を持って国債の問題を議論してほしいものである。

 

それよりも残念かつ疑問なのは、経済学者がこの問題について強い警告を発していないことだ。うがった見方をすると、政府の政策を批判すると各種審議委員会に呼んでもらえないので、口をつぐんでいるのだろうか。

 

市場が死に絶え、財務省・市場関係者・政治家・学者と揃って口をつぐむ中、静かに着実に危機が高まっている状況に、深い失望感・絶望感を覚えるのである。

 

(日沖健、2016年7月18日)