舛添知事はいつからセコくなったか

 

東京都の舛添要一知事の政治資金・公私混同問題が国民的な注目と批判を集めている。舛添知事は「第三者による厳しい調査」の公表で切り抜けるつもりのようだが、世界最大の自治体の首長だけに、しっかりした説明・対応を期待したい。

 

ところで、国民にとって素朴な疑問は、「舛添知事はどうしてあんなにセコいの?」という点だ。舛添知事は、政治資金を使ってヤフオクで美術品を購入したり、喫茶店の領収書をチョロまかしたり、とセコ技を連発し、国民を呆れさせている。東京都知事の報酬はボーナスを含めて年約2400万円だが、舛添知事の場合、政界入り前に芸能活動で荒稼ぎしており、別荘を持つほど金がある。お金持ちの舛添知事が異常にセコいのは、一般国民には理解に苦しむところだ。

 

マスコミでは、「権力の座にいるうちに感覚が麻痺したのだろう」という識者の見解をよく目にする(たとえば、「ダイヤモンドオンライン」6月4日号の小宮一慶氏)。たしかに「権力は腐敗する」という教訓そのものは尊いが、実態は違うのではないか。舛添知事は、政界入り後あるいは都知事就任後に急にセコくなったわけでなく、それ以前の学者時代・タレント時代にセコい習慣が培われたと推測される。

 

舛添知事は1989年まで東京大学助教授だった。芸能活動を始める前は、政治学者として慎ましい生活をしていた。「東大で教えている」というと聞こえは良いが、教授まで上り詰めても年収は平均1159万円にすぎない(平成23年調査、准教授は911万円)。能力と自尊心が高い舛添知事は、民間企業に進むしか選択の余地がなかった他大学のアホ学生が自分より稼いでいるのを忸怩たる思いで見ていたに違いない。

 

一般に学者は、架空の学会出張をしたり、研究費を私的に流用したりして、セコく小遣い稼ぎをする(清廉な学者も多いが)。舛添知事も、学者時代にそういう軽度の不正に手を染めていたのだろう。ただ、それらは金額的に知れているので、お金に執着する学者は副業に活路を求める。今日なら企業の社外取締役が副業の人気ナンバーワンだが、自己顕示欲の強い舛添知事は芸能活動にのめり込んで行った。

 

タレントになると、必要経費の範囲が大きく広がる。学者が年数回の学会出張をでっちあげるのと違って、タレントなら服飾品はもちろん、食事でも美術品でも、何でも必要経費にできる。こうして舛添知事は、生活にかかるほとんどの支出を経費処理するようになった。

 

本来、政界入りしたらそういう不正を止めるべきである。ただ、政治資金規正法は、資金の“入り”に関してはかなり厳格だが、“出”に関しては投機的な株式投資を禁じている程度で、ゆるゆるのザル法だ。こうして、まさか自分がここまでビッグになると思わなかった舛添知事は、学者・タレント時代からのセコい習慣を改めることなく延々と続け、逆に公私混同をエスカレートさせたのだろう。

 

以上は多分に憶測を含むが、当たらずとも遠からずだと思う。今回「第三者による厳しい調査」によって、公私混同や不正の実態だけでなく、舛添知事がいつからセコくなったのかも明らかにし、再発防止に役立ててほしいものである。

 

ところで、個人的には、舛添知事のセコさの原点である学者の低収入に今後注目が集まることを期待する。アメリカのMBAで教えている私の知人の年収は、日本円で2千万円から5千万円に達する。アメリカでは学界と実業界の人材交流が盛んなので、民間企業に負けない高収入を提示しないと、まともな学者が集まらないからだ。

 

その昔、日本では「末は博士か大臣か」と言われたように、優秀な学生は大学院に残って学者を目指すか、政治家を目指した(共産党の不破哲三元議長は東大を主席で卒業)。しかし、最近は、優秀な学生が民間企業、とりわけ若い頃から給与が高い外資系企業に就職するケースが増え、学者を目指す学生の質は低下している。さらに、学者になってからも、低収入を補うため社外取締役を何社も兼任するなど副業に精を出し、まともに研究に取り組まないエセ学者が増えている。

 

日本の学術研究をレベルアップさせるには、優秀な学生・社会人が学者を志望し、学者が副業に依存しなくても済むよう、学者の給与を引き上げることが期待される。とは言ってもない袖は振れないので、無能な学者の給与を下げ、有能な学者に厚く配分する必要がある。理想的には、レベルの低い大学をどんどん閉鎖して大学数・教員数を半分に減らし、残った大学で教員の給与を倍増させるべきだと考える。

 

(日沖健、2016年6月6日)