慶応の嫌いなところ、好きなところ

 

週刊ダイヤモンド5月28日号の特集は、「慶應三田会・学閥の王者」。慶応義塾大学のOB会組織である三田会の活動や実業界での影響などを幅広く取材し、紹介している。この手の記事にしては珍しく、卒業生の私から見ても色々と発見が多い、読み応えのある内容だ。

 

母校が大々的に取り上げられてさぞ鼻高々だろうと思われるかもしれないが、そうではない。逆に、私が慶応大学で最も嫌いなところを褒めそやす一方、大好きなところにはまったく触れておらず、正直、大いに不満である。「お前の好き嫌いなんてどうでも良いだろ」というご批判がありそうだが、慶応大学だけでなく社会全般にとって大事なことだと思うので、しばしお付き合いいただきたい。

 

私が慶応大学で最も嫌いなのは、まさに特集記事が取り上げた卒業生のネットワークである。記事の通り、慶応大学には、地域・職域・卒業年次・趣味など大小862の三田会があり(非公認を含めると千を優に超える)、卒業生は強力なネットワークを形成している。そして、三田会のネットワークがビジネスチャンスの紹介などで卒業生をサポートしている。

 

まず、卒業後何十年もたった中高年が学生時代の仲間と夜な夜な飲み歩いているのは、いかがなものだろう。たまにクラス会をやるくらいなら微笑ましいが、度が過ぎると傍から見てかなり気味が悪い。

 

それでも、地域・卒業年次・趣味の三田会は実害がないが、企業内の三田会は深刻な問題だ。社内で慶応出身者だけがつるんでいると、他大学出身者との間に垣根ができ、組織の風通しが悪くなってしまう。一橋大学の如水会も結束が固いことで有名だが、卒業生が少ない一橋と違って、数が多い慶応出身者が学閥を作ると悪影響が広がる。多くの大企業では、「OB同士で集まるな」とも言えず、対応に苦慮しているのではないだろうか。

 

三田会のネットワークが本当にビジネスにプラスになっているかどうかも疑わしい。三田会の人脈を重視すると、慶応出身者以外との付き合いを軽視することになりがちだ。とくに戦前から代々、慶応幼稚舎に入学する“慶応ファミリー”にその傾向が顕著である。三田会の限られた人脈の中でこぢんまり活動するよりも、他大学出身者や広くグローバルにネットワークを広げる方が、よりダイナミックに活動できる。近年オープンイノベーションが注目されているように、イノベーションの創造や社会・経済の変革という点でも、閉鎖的な村社会である三田会は時代遅れになっている。

 

では、私が母校を毛嫌いしているかというと、そうではない。慶応には色々と好きな点があるのだが、何と言っても誇りに思うのは福沢諭吉の合理精神である。

 

江戸時代、蘭学書の翻訳では原著に忠実に翻訳することが重視されていたのに対し、福沢は「翻訳は原著を読めない人のためにあるのだから、原著に忠実である必要はない」とした。また、開港後の横浜を訪ねると誰もオランダ語を使っていないことを目の当たりにした福沢は、艱難辛苦の末に習得したオランダ語をあっさり捨てて、即座に英学者に転向した。福沢は、まさに合理精神の人だった。

 

今日でも慶応大学には、福沢の合理精神が脈々と受け継がれている。学問では、実際の世の中で役に立てようという「実学志向」が尊重されている。教師を「君」と呼ぶことや学生同士が教え合う「半学半教」など、合理精神を体現した習慣も数多い。合理精神を重んじる人にとってはたいへん居心地の良い学びの場であり、私自身は『福翁自伝』に書かれた福沢の合理精神が生きて行く上でのバックボーンになっている。

 

世の中のトレンドとしては、閉鎖的な村社会よりも、オープンなネットワークが優位になっているし、合理精神がますます重視されるようになっている。週刊ダイヤモンドでは、慶応大学の恥部である三田会が素晴らしいものとして紹介され、世界に誇るべき福沢の合理精神がスルーされている。残念なことだ。

 

なお、以上は私のまったくの個人的な見解というわけではない。私の仲人のKさんも、サラリーマン時代の上司のHさんやOさんも、親友のK君・F君・M君も、口をそろえて「三田会のウェットな人間関係は嫌い、福沢先生の合理精神は好き」と言っている。週刊ダイヤモンドが紹介するような三田会でのネットワーク形成に熱心なOBが多いのは事実だが、それを呆れ顔で見ているOBもまた多いのだ。記事を鵜呑みにせず、ご参考にしていただければ幸いである。

 

(日沖健、2016年5月30日)