年功序列制が崩壊した後は?

 

先週13日東京地裁で、定年後に再雇用されたトラック運転手3人が定年前と同じ業務なのに賃金を下げられたのは違法だとして定年前と同じ賃金を払うよう勤務先の運送会社に求めていた訴訟の判決が下された。佐々木宗啓裁判長は「業務の内容や責任が同じなのに賃金を下げるのは、労働契約法に反する」と認定し、定年前の賃金規定を適用して差額分を支払うよう会社側に命じた。

 

三菱自動車関係の報道の陰に隠れてそれほど大きく取り上げられていないが、日本企業の経営のあり方に大きな影響を与える判決だと思う。

 

2013年の高齢者雇用安定法の改正で、企業は労働者を65歳まで雇用することが義務付けられた。現状では、定年を65歳に引き上げるよりも、定年を60歳にしたまま、希望者を65歳まで再雇用する企業が多い。労働契約法20条は、正社員のように無期雇用の者と再雇用など有期雇用の者の間で不合理な差別をすることを禁じているが、実際は、今回裁判で争われたように、再雇用では仕事があまり変わらないのに定年前の半分以下といった極端な低賃金に抑えられている。今まで訴えがなかっただけで、明らかな違法状態だ。

 

企業が違法状態を放置してきたのは、年功序列制の呪縛があるからだろう。大半の日本企業が採用する職能資格制度は、年齢とともに職務遂行能力(職能)が上がるという前提で昇給する仕組みである。実際には年齢と職能は一致しないので、若年層は実力・成果と比べて給与が低い一方、中高年は割高で、実質的に年功序列制になっている。企業は、雇用延長による人件費負担の増大に再雇用者の給与抑制で対応し、何とか年功序列制を維持しようと努めてきた。

 

今回の判決で、企業が再雇用者を露骨に差別するのは許されなくなる。といって再雇用者の給与を大幅に引き上げるのは物理的に難しいので、定年前の中高年社員の給与を引き下げることだろう。つまり、今回の判決が決定打となって、日本企業は戦後長く維持してきた年功序列制から決別することになる。

 

従業員が高齢化する中、年功序列制を維持するのはもともと困難だった。企業は、今回の判決を「困った事態」と考えるのではなく、人事制度を見直す好機と捉えるべきである。

 

問題は、年功序列制に代わる次の人事制度が見えないことだ。1990年代後半には、“グローバルスタンダード”の掛け声のもと、成果主義への転換が進められた。ただ、「日本の組織風土に成果主義はそぐわない」とする意見が強く、賞与などに部分的に導入するにとどまっている。

 

成果主義に二の足を踏んだ企業は、「職能資格制度が悪いわけでなく、年功序列化した硬直的な運用がいけないのだ」として職能資格制度を実際の能力で評価する実力主義に改良しようとした。ただ、従業員への平等な処遇を崩すことへの警戒心は強く、賃金カーブの見直しや最低滞留年数(同じ資格に留まる年数)の短縮など小手先の改善にとどまっている。

 

そして最近は、政府主導で「同一労働同一賃金」の議論が起こり、職務給の導入を模索する動きが出始めている。ただ、アメリカでは一般的な職務給だが、個々の労働者の職務があいまいで、チームワークで仕事をする日本企業には馴染まず、現段階ではあまり普及していない。

 

このように、企業は年功序列制からの決別が不可避という認識には至っているが、職能資格制度の改良で済ますのか、成果主義や職務給に転換するのか、大いに悩んでいる状況だ。

 

よく経営者との雑談で「次の人事制度のトレンドは何でしょうね」という話しになる。トレンドとしては、職能資格制度の手直しで取り繕う企業は減り、ロワークラスには職務給、管理職以上には成果主義という複合型の人事制度を導入する企業が増えると予想する(これは、まさにアメリカ企業で一般的な人事制度である)。

 

ただし、トレンドはあくまで世間一般の話しであって、自社の事業・組織に適した人事制度は各社でまったく異なるはずだ。せっかくの好機なので、次のトレンドを追いかけるよりも、自社にとってベストの人事制度は何なのかを冷静に考えて欲しいものである。

 

(日沖健、2016年5月16日)