奨学金拡充よりも社会人の学習支援を

 

安倍晋三首相は先週29日、大学生らを対象にした国の奨学金制度について、返還が要らない給付型奨学金を創設する考えを表明した。併せて、無利子の奨学金も対象・支給額を広げるという。

 

豊かなはずの日本でも、家庭の経済事情によって大学進学を断念する高校生が数万人単位で存在するという。教育の格差は、職業の格差、ひいては所得の格差に繋がる。今回の奨学金制度の拡充でこうした問題が解消されるなら、たいへん喜ばしいことだ。

 

ただし、今回の政策には、いくつか疑問がある。

 

第1に、選挙対策の意味合いが強く、動機が不純ではないか。今夏の参院選を控えて、安倍首相は「アベノミクスで格差が広がった」という批判に応えようと躍起になっており、今回の表明になった。また、参院選から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることから、若者を取り込もうという狙いもあるようだ。

 

第2に、これ以上大学進学者を増やす必要があるのだろうか。文部科学省の学校基本調査(平成27年度)によると、大学・短大の進学率は54.6%と史上最高を記録した。少子化で希望者全員が大学に進学できる「全入時代」になり、大学生の学力低下が著しい。闇雲に奨学金をばら撒くのではなく、優秀な学生に限定するべきであり、それならば現在の制度でも十分ではないか、という疑問が出てくる。

 

第3に、大学進学希望者よりも、社会人の学習を支援する方が重要ではないか。近年、非正規労働者が増加し、企業内で十分な教育訓練を受けられない20代・30代の社会人が増えている。若い頃に十分な教育訓練を受けられないと、非熟練労働者として一生を過ごすことになりかねない。政策の優先順位の問題なのだが、国家的な損失を減らすという点では、社会人の学習支援に軍配が上がると思う。

 

3つ目の社会人の学習について、少し掘り下げて少し考えてみたい。

 

現在日本では、社会人への教育訓練は、主に企業が担っている。日本企業は学卒者を正社員として一括採用し、OJT(On-the-job training、職場で仕事を通して行う訓練)などでビジネススキルを身に付けさせている。企業外の教育機関が充実していないので、卒業時に就職できずに失業したり、非正規労働者になったり、あるいは就職しても経営に余裕がない零細企業だと、若年層は十分な教育訓練を受けられない。正社員として大企業に就職した“勝ち組”とそれ以外の能力差は開く一方だ。

 

国による社会人への学習支援の代表は、教育訓練給付制度である。教育訓練給付制度は、国が指定する講座を受講した労働者に対し受講料の一部を国が負担するものだ。1998年に導入され、社会人のスキルアップに寄与している。ただし、雇用保険に加入していることが給付の条件になっており、“勝ち組”の正社員の能力・スキルをさらにアップさせるものだ。教育訓練給付制度それ自体は悪くないが、それよりも、蚊帳の外に置かれた非正規労働者や失業者に対して学習機会を与えることが大切ではないか。

 

私事だが、2010~11年、中小企業団体中央会が主催する「新・若者挑戦塾」の講師を担当した。「新・若者挑戦塾」は、既卒の求職者や非正規雇用者を対象に、ビジネスの基本スキルを学んでいただく3か月間の合宿研修である。講師を依頼されたとき、正直「えー、フリーターに教えるの? フリーターって勉強する気あるの?」と思った。しかし、私の懸念は見事に裏切られ、多くの受講者は就職して本格的に社会に参加することを目指し、貪欲に知識・スキルを吸収しようと努力していた。「俺たちは成功者だ」とふんぞり返っている大企業の若手社員よりもはるかに好印象で、彼らの前途の成功を祈らずにはいられなかった。

 

その後、民主党に政権交代し、残念ながら「新・若者挑戦塾」は事業仕分けの対象になって、あえなく打ち切りとなった。蓮舫さん(?)によると「新・若者挑戦塾」は“効果なし”“税金の無駄使い”ということらしいが、今必要とされているのは、まさしくこうした若者への直接的な支援ではないだろうか。

 

なお、大企業に就職した“勝ち組”についても、十分な教育訓練が行われているか、疑問に感じる。OJTは、現在やっている仕事のやり方を伝授することには有効だが、仕事を改革したり、新しいことを始めたりするには不十分だ。また、現場の作業者の技能訓練は比較的よく行われているが、マネジャー・経営者層の能力開発は、大企業でもほぼ手つかずだ。

 

「恵まれない高校生に救いの手を差し伸べよう!」と言われると、なかなか反対しにくい。しかし、情に流されず、何が本当に必要な支援なのかを考える必要がある。

 

(日沖健、2016年4月4日)