これで良いのか、リーダーシップ論

 

学問と言うと、絶対的な真理を追究する普遍的な営みという印象を持つ。しかし、自然科学はともかく、社会科学は絶対の正解のないアートの世界だ。

 

とくに、私が関係している経営学は、研究対象の企業経営がどんどん変化するので、時代によって学説にもトレンドがある。日本的経営を褒めそやしていた学者に久しぶりに会ったらグローバルスタンダード経営の信奉者に変わっていた、TQCの専門家がBSCの専門家に商売替えしていた、ということがたびたびある。良く言えば柔軟性があり、悪く言えば節操がない。

 

経営学には実にさまざまなトレンドがあるが、その中で個人的に最近非常に気になるのが、リーダーシップ論の“ソフト化”だ。

 

リーダーシップ論の変遷を簡単に振り返ると、1930年代までは、資質論(または特性論)の研究が主体だった。情熱・責任感・大局観・決断力といった優れたリーダーに共通する資質を特定しようという試みであった。

 

続いて1940年代に流行したのが、リーダーが取るべき行動を特定しようという行動理論である。リーダーの行動は、人・関係性に対する働きかけと仕事・業績に対する働きかけという2つに対ベルできることが明らかになった。1960年代には、行動理論の発展形として、適切な行動は時と場合によって異なるというコンティンジェンシー理論(状況適合論)が台頭した。

 

1980年代以降は、実に多種多様なリーダーシップ論が出現している。リーダーは主体的に組織の変革を主導するべきだという変革型リーダーシップ、リーダーはサーバント(召使い)としてメンバーを後ろから支えるべきだというサーバント・リーダーシップ、カリスマ的な人間力でメンバーをけん引するべきだというカリスマ・リーダーシップなどである。

 

近年は、様々なリーダーシップ論の中でも、強いリーダーを求める議論は敬遠される傾向にある。サーバント・リーダーシップやリーダーとメンバーの関係性に着目したLMX理論などが人気を集めている。また、リーダーそのものよりも、リーダーを支えるフォロワーのあり方に注目するフォロワーシップがよく議論されている。全体にリーダーシップ論が“ソフト化”していると言えよう。

 

企業研修で講義をしていても、ソフトなリーダーシップ論は受講者に受けが良い。中間管理職の受講者に上記のような色々なリーダーシップ論を紹介すると、「カリスマ・リーダーシップを目指します!」という受講者は皆無で、大半はサーバント・リーダーシップやLMX理論に共感を寄せる。

 

たしかに、小規模な職場で決められた仕事を効率的にこなすには、ソフトなリーダーシップでまとまりのある集団を作るのが良い。しかし、ある程度の規模の職場や事業・企業全体を改革するような場面では、ソフトなリーダーシップは無力だ。変革型リーダーシップやカリスマ・リーダーシップが要求されるのではないだろうか。

 

現代は、グローバル化・IT化・少子高齢化など、様々な変化が押し寄せている。そして、多くの日本企業は、環境変化に対応して事業と組織を変革させる必要に迫られている。変革には対立や葛藤が不可避であり、上司と部下は手に手を取り合って仲良く仕事しましょう、というやり方では立ち行かない。

 

リーダーは、ときには自らが目指すところへ関係者を強引に導いていく必要がある。セコムの飯田亮、ヤマト運輸の小倉昌男、日産のカルロス・ゴーンなど、大きな改革を成功させた経営者は、関係者との合意形成に努めたものの、最後は自分の信念に従って決断し、強引に関係者をリードした。

 

中間管理職レベルでのソフトなリーダーシップの価値を否定するわけではないが、経営者や事業責任者を含めて皆がソフトなリーダーになったら、組織は確実にダメになってしまう。ソフトなリーダーシップ論ばかりが脚光を浴びる現状に、強い危機感を覚えるのである。

 

(日沖健、2015年12月28日)