日本のモノづくりはどこへ行く?

先週、三菱重工業の小型旅客機MRJが初飛行に成功した。開発開始から8年、5度に渡って延期を繰り返すという難産だった。「難産の子ほど健やかに育つ」と言われるように、MRJが世界各地の空を飛び、ビジネスとしても成功することを祈りたい。

戦後初の国産旅客機YS11が初飛行したのが1962年。販売不振で生産中止に追い込まれたのが1973年。MRJは、YS11の初飛行から53年ぶり、生産中止から42年ぶりの快挙である。一部には、今回のMRJの成功が日本のモノづくり復活の狼煙だと強調する意見があるようだ。

ただ、今回の三菱重工業や世界最強と言われるトヨタも含めて、日本のモノづくりを取り巻く状況はたいへん厳しい。日本の製造業は戦後、現場作業員の高い技能・モチベーションや改善の仕組みなどを基盤に、圧倒的な品質で世界を席巻した。しかし、1990年代以降、新興国企業の台頭やグローバル競争の進展とともに、劣勢に立たされるようになっている。最近は、若年層の製造業離れ、中核を担った団塊の世代の大量退職、技術開発力の低下などで、いよいよ存亡の危機にある。

とくに日本のモノづくりにとって重大な最近の変化は、モジュール化・デジタル化によるモノづくりの簡素化である。

モジュール化とは、構成部品の性能やインターフェイスが標準化され、複数の部品を組み合わせるだけで最終製品が一定の機能を発揮するような状態になることを意味する。PCは、電気店で部品を買って組み立てることができるので、モジュール型の製品の典型である。

デジタル化の範囲は幅広いが、デジタルデータをもとに樹脂を重ね塗りして立体構造物を再現する3Dプリンターや革や板を自由自在に切り抜くレーザーカッターが代表例である。装置などをインターネットでつなぐIOTの動きも広がっている。

こうした変化によって、かつてはしっかり技能を習得した作業員でないと実行できなかった製造作業が、非熟練作業者でも簡単にできるようになった。誰でも製造作業ができるようになら、わざわざ高い人件費を払って日本国内で生産しなくても、人件費の安い新興国で生産しようという話しになる。

飛行機や自動車のような部品点数が多い複雑な製品では、モジュール化やデジタル化は簡単に進まないだろうという意見がある。しかし、その他の大半の製品は、「日本人しか作れない」という状態ではなくなる。そうなったら日本のモノづくりはどうなるのだろうか。どうすればグローバル競争を勝ち抜くことができるだろうか。

よく専門家が推奨するのは、新興国企業が模倣しにくい高付加価値品を開発することだ。しかし、高付加価値だから模倣しにくいだろう、というのは日本企業の勝手な思い込みである。やがて新興国企業に模倣されると、さらに高付加価値化を目指し、イタチごっこが続く。製品は高度化するが、開発費などの負担が大きく、なかなか儲からないという悩ましい状況になる。

高付加価値化以外に、日本の製造業が生き残る道がいくつかある。

1つ目に、部品をブラックボックス化し、部品販売で儲けることだ。日本の電子部品メーカーは、部品の内部はブラックボックス化しつつ、他の部品とのインターフェイスを標準化している。これは、製品自体の競争力を維持しながら、世界中に売れるということだ。

2つ目に、システム・ソリューションを提供することも有効だ。単独の製品だとやがて模倣されてしまうが、複数の製品を組み合わせてシステムにし、顧客の問題に合わせて売ると(いわゆるソリューション)、かなり模倣されにくくなる。

3つ目に、規制強化にも注目したい。日本のメーカーは、環境性能や安全性などで優れている。まだ新興国企業が世界市場の主役にならない内に、政府も巻き込んで、極めて厳しい環境基準・安全基準を作ってしまえば、新興国企業に対して優位性を保つことができよう。

いずれにせよ、単純に低価格競争を挑んだり、高付加価値化を極めようとするだけでは、日本のモノづくりが生き残るのは難しい。今回のMRJの成功で慢心するのではなく、改めて日本のモノづくりのあり方を見直して欲しいものである。

(日沖健、2015年11月16日)