何でも風土のせいにしてよいのか?

前週に続き、不適切会計問題で揺れる東芝について書こう。

第三者委員会(委員長=上田広一・元東京高検検事長)が20日会社側に提出した調査報告書によって、東芝が不適切の会計処理をした経緯・原因などが明らかになった。第三者委は、不適切会計問題を生んだ背景として、行き過ぎた「利益至上主義」と上司の意向に逆らうことができない「社内風土」、経営者の適切な会計に対する意識の欠如を指摘した。

東芝は毎月、「カンパニー」と呼ばれる事業部門や子会社のトップが社長に業績の見込みや実績を報告する「社長月例」と呼ばれる報告会を開催している。そこで、経営トップが高い目標を強くせまり、業績不振の事業部門に対して、事業撤退を示唆するケースもあったという。

各事業部門では、実力以上の目標を課せられた結果、次期以降の利益を先取りし、損失や費用の計上を次期に先送りする会計処理が横行するようになったと結論付けた。

また、第三者委は経営トップによる利益の最大化が上司に逆らうことのできない社内風土を醸成したと認定した。社長から事業部門の会計処理の担当者に至るまで、適切な会計処理に対する意識や知識が欠如していたと厳しく指摘した。

この報告書を見て、個人的には、2点強い違和感を覚えた。

まず、「トップが高い目標を強くせまり、業績不振の事業部門に対して、事業撤退を示唆する」ことをあたかもパワハラのごとく指摘しているが、多くの会社で当たり前のように行われていることではないか。日産のゴーン改革でも、コミットメント(必達目標)として挑戦的な課題を現場に与えていた。不正に走らないよう経営陣が管理する必要はあるが、挑戦的な課題そのものは非常に良いことだ。

東芝の経営の最大の問題は、不採算事業からの撤退と革新的な新規事業の創造がなかなか進まず、旧来型の総合電機から脱却できていないことだ。経営陣は、不採算事業からの撤退をもっと強力に進める必要がある。利益至上主義という誤った認識によって、東芝の構造改革がますます停滞し、先行する日立などから周回遅れにならないよう願いたい。

もう一つ、事件の原因として社内風土を強調していることも、納得が行かない。たしかに、東芝の風土に指摘するような問題があり、事件の背景になったのは事実だろう。しかし、風土というのは雲を掴むような存在で、「風土が悪かった」と言ってしまうと、「一人一人は誰も悪くない」という安易な議論に繋がりやすい。

新しい事業に果敢に挑戦するホンダの社風は、オートバイ事業の北米進出や自動車事業への参入を決断した創業者・本田宗一郎の行動で培われた。1990年代初めに経営危機に陥ったIBMを救ったルー・ガースナーは、官僚的な組織風土を変えることに全力を注いだ。組織風土は、トップの行動やトップが部下に下す評価などによって作り出されるのであり、好ましくない組織風土を変えるのも、トップの責任だ。風土が悪いなら、すべてトップの責任だ。経営者は「悪い風土を作り、正すことができなかった自分が悪い」とするべきで、くれぐれも「悪いのは風土で、誰も悪くない」といったうやむやな話しにしないでほしいものである。

それにしても、事件そのものもさることながら、事件を調査した第三者委員会の無能ぶりには呆れる。利益至上主義を戒めたり、風土というぼんやりした話でまとめたり、ガバナンス改革として社外取締役の増員を求めたり、とピント外れが甚だしい。

どうしてこういう不祥事が起こると、元検事長や大学教授といったビジネスの素人がしゃしゃり出てくるのだろうか。第三者が客観的な立場・見方で問題を正す、ということだろうが、門外漢が複雑な東芝のビジネスを短期間で調査し、アドバイスするのは無理がある。難病を患った病人が医者に行かず、近所のオジサンに第三者の意見を求めると言い出したら、誰しも「やめとけ、医者に行け」と諭すはずだ。どうして同じ理屈がビジネスでは通らないのだろう。

会社側(監査委員会?)が今回の第三者委員会のメンバーを選んだ経緯を知る由もないが、「とりあえず立派な肩書の人を選んでおけば、マスコミや世間から文句を言われないだろう」という本音が垣間見え、「何とか会社を変えねば!」という危機感が伝わってこない。この第三者委員会の報告書・勧告に基づいて東芝が今後改革を進めると思うと、東芝が本当に復活できるのか、不安に思わざるを得ないのである。

(日沖健、2015年7月27日)