官製相場が日本を滅ぼす

有沢広已編『日本証券史』を読んだ。1878年(明治11年)に日本初の証券取引所が開設されて百周年を記念して1978年に編纂された大著である(1995年に日経文庫に収録)。

話題満載な中でもとくに興味を惹いたのは、戦時中の株式市場に関する記述だ。開戦直後はもちろん、戦況が悪化し空襲を受けるようになっても、取引所では何とかかんとか立会が行われた。いよいよ立会の継続が物理的に困難になり“臨時休会”になったのは、なんと終戦直前の1945年8月10日のことだった。日本が破滅へと向かう中、株式市場は動き続けたのだ。

株価の動きも、私たちが「開戦直後をピークに右肩下がりだろ?」と常識的に考えるのとは、かなり違った。開戦前、経済活動への打撃を懸念して低迷していた株価は、開戦後、真珠湾攻撃の華々しい戦果で暴騰した。そして、次第に戦況が悪化し、絶望的な状況になっても、終戦前まで株価指数はまずまず堅調だった。これは、政府が最低取引価格を規制したのと戦時金融公庫を通して無制限の買い出動を行ったためである。はるか70年前の戦時中に、日本で最初の官製相場が誕生したわけだ。

当時、政府が官製相場で株高を必死に演出したのは、株価下落が国民に敗戦を予想させることを恐れたからだ。株価は、半年先の経済を映し出すと言われる。政府は、こうした株式市場の予知機能を認識し、空襲の中、無理を押して取引所を開け、買い支えによって株価指数を吊り上げ、戦況及び日本経済は問題ないと国民にアピールしたのだった。「市場版大本営発表」とでも言えようか。

さて、終戦から70年たった今日、2つの官製相場がある。株式市場と債券市場である(もう一つ、政府が企業にベアを迫った春闘も官製相場と言えるかもしれない)。株式市場は、日銀の異次元の金融緩和による円安とETF購入で、7千円台だった日経平均が先週ついに2万円に至るまで高騰した。債券相場は、同じく日銀の金融緩和による国債買い入れで、ほぼ0%近くまで金利が低下している。

株価上昇は良いことだし、金利低下も悪いことではない。ただし、それが経済の実態を反映しているならば、という条件付きの話だ。

日本企業は、この3月決算で史上最高益を更新する見込みだが、円安の効果が大きい。グーグルやフェイスブックのように次々と革新的な企業が生まれるアメリカと違い、時代の変化に取り残された古いタイプのビジネスが大半を占める。企業努力を認めないわけではないが、緩和マネーによるバブルの側面が強く、企業が国際競争力を獲得した結果の株高とは考えにくい。

債券市場については、言わずもがなだろう。国は1000兆円を超える借金を抱え、主要国では断トツの末期的な財政状態にある。金利は日銀の力技で何とか抑え込まれているだけで、日本国債の健全性を示すものでないことは明らかだ。

市場の予知機能とは、見方を変えると警告機能である。企業経営がうまく行っていなかったら、株価が下がり、経営者に経営改善を促す。財政が悪化したら、金利が高騰(債権価格は下落)し、国に財政再建への取り組みを促す。耳の痛い警告をタイムリーかつ明快に発してくれて、最適な資源配分へと誘導するところに、市場の存在意義がある。

大戦時の政府は、官製相場によって国民の目から戦況悪化を覆い隠そうとした。現在の政府は、そこまでの悪意はなく、金融緩和で経済が立ち直ると本気で信じているのだろう。ただ、結果として、日本の経済・財政の不都合な実態を覆い隠し、改革への機運をしぼませているという点では、戦前と大きな変わりはない。

戦前の軍部・政府は、市場の声を無視し、抹殺し、破滅へと突き進んだ。今日の政府・財務省・日銀は、不幸な歴史を繰り返さないよう、戦時中の政策とその顛末を今一度しっかり振り返ってほしいものである。

(日沖健、2015年4月13日)