大塚家具の従業員は可哀そうか?

大塚家具のお家騒動が注目を集めている。会員制販売を維持したい創業者の大塚勝久会長とビジネスモデルの転換を目指す長女の久美子社長が対立を深め、3月27日に開催される株主総会に向けて、両陣営が委任状争奪戦(プロキシー・ファイト)を繰り広げている。

重要な経営方針を株主総会で決定するというのは、筋論としては間違いではない。ただ、企業の内部情報や業界の専門知識を持たない機関投資家や一般株主は、なかなか合理的な意思決定をできるものではない。普通は、経営状態をよく把握している経営陣が社内で経営方針を固めて、株主総会で承認を得るというやり方をする。こういう当たり前の手続きがうまく運ばず、裁判まで起こして世間を騒がしているのは、コーポレートガバナンスの強化が叫ばれている時代に、なんともお粗末な話である。

ところで、今回の事件で私が個人的に気になったのは、ネット掲示板などで「大塚家具の従業員は可哀そう」という意見をたびたび見聞きしたことだ。

勝久会長が2月26日に開いた記者会見では、会長派の役員だけでなく、店長・部長クラスの従業員がずらりとひな壇に並んでいた。心の中では「親子でちゃんと話し合ってくれよ」と思いつつも、会長に半ば脅されて渋々並んだ者もいたはずだ。この場面だけを捉えると、「従業員が可哀そう」という意見も少しうなずける。

しかし、大塚家具は典型的な同族経営で、勝久会長のワンマンぶりは昔から相当有名だった。自ら望んで就職しておいて、まだ解雇されたわけでも、給料を減らされたわけでもないのに、「変な会社に入った従業員が可哀そう」とするのは、あまり説得力がない。

今回の事件で最も大きな被害を受け、最も可哀そうなのは誰だろうか。

株主が真っ先に思いつくところだが、実際にはプロキシーファイトによる買い占めや増配の思惑で、大塚家具の株価は騒動勃発後、むしろ上昇している。長期的にはともかく、今のところ株主は、被害を受けるどころか大きな利益を得ている。

やはり一番の被害者は、大塚家具で商品を購入した顧客ではないだろうか。大塚家具のような高級家具の場合、顧客は機能的価値だけでなく、ブランド価値も含めて高い値段を払っている。イメージダウンによるブランド価値低下で、多くの顧客はがっかりしているに違いない(実は私もその一人なのだが・・・)。とくに新婚家庭にとっては、醜い親子喧嘩をしている店から家具を買ってしまったのは、縁起が悪いことこの上ない。

私が確認した限り、会長も社長も「株主を始め関係者の皆様」には謝罪したが、最大の被害者である顧客に対する明確な謝罪を発していない。個人的に、今回の事件で何より残念に思うことである。

1997年に自主廃業した山一證券の野澤社長は、記者会見で、号泣しながら「みんな私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから。どうか社員に応援をしてやってください。優秀な社員がたくさんいます、よろしくお願い申し上げます」と訴えた。大の経営者が人目をはばからず号泣したことも衝撃だったが、外国人には、従業員のことを繰り返し言及したことも奇異に受け止められた。

海外の企業では、従業員同士が報酬・地位を巡って競い合うのに対し、日本企業では、「家族主義経営」と言われるように、経営者・従業員は家族のように温かい人間関係を形成している。転職市場が未整備なので、会社が倒産すると従業員は路頭にさまよってしまう。そのため、野澤社長のように、何か重大事があったら真っ先に従業員のことを気遣う経営者は多い。

こうした従業員第一主義をどう評価するかは、難しい問題だ。価値観の多様化や労働市場・労使関係の変化で、家族主義経営を続けるのは難しくなっている。海外では、従業員第一主義はもともと成り立たない。従業員第一主義は時代遅れだという意見が支配的だ。

一方、イノベーションの担い手として、企業経営の中で従業員の重要性が増している。イノベーションを活発化させるには、従業員を大切にしなければならないことは間違いない。「可哀そう」といった感情論でなく、新しい経営環境の中で従業員をどう位置付けるかを真剣に考えるときだと思う。

(日沖健、2015年3月16日)