格差と不労所得

トマ・ピケティ著『21世紀の資本』の登場によって、格差を巡る論議が盛んになっている。ビケティは「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、恣意的で持続不可能な格差を生み出す」とし、富める者がますます富み、一般庶民との格差が広がっていくという。

ただ、この結論自体は、資本を持っている人(富裕層)の収益率が産出の活動を担う人(一般労働者)の所得の伸び率を上回れば、格差が広がるという当たり前のことを言っているに過ぎない。

問題は、こうした状況が生じる原因と今後の対策だ。

現在、格差の原因や対策を巡って世界中で熱い議論が行われているが、この問題を考える上で重要な論点は、投資収益を不労所得とみなすかどうかであろう。

よく株式など金融商品や不動産への投資で得られる配当・利子・家賃収入などを不労所得と呼ぶ。私の近所に住むKさんは、親から多くの不動産を相続し、40歳前に働くのを辞め、賃貸アパートの家賃収入で生活している。たまに彼を見かけるたびに「不労所得」という単語が思い浮かび、「資産への課税を強化すべき」というピケティの主張に膝を打ってしまう。

しかし、Kさんのように相続した財産から収益を得るのは財産管理であり、投資ではない。本来の投資とは、収益を上げられる機会を見つけ出し、リスクを取って(資金が返って来ない危険を引き受けて)そこに資金を投じることだ。

社会を発展させるのはイノベーション(革新)で、イノベーションの創出には大きなリスクを伴う。企業が果敢にイノベーションに挑むためには、失敗した場合に「ゴメンなさい」と言えることが大切だ。企業にとって、株主から調達した資金は返済する必要がなく、失敗したら「ゴメンなさい」と言えるので、安心してイノベーションに挑戦することができる。株主が企業のリスクテイクを応援し、企業は株主の期待に応えようと必死に努力するから、社会が発展するのだ。

技術的な難易度という点でも、投資はもっと尊重されるべきだ。農耕文化やモノづくり神話が健在な日本では、体を動かして作業するのが労働で、オフィスワークはあるべき正しい労働ではない。まして投資は、宝くじを買うのと同じで、労働ではなく、「不労」という扱いだ。しかし、体を動かす労働はロボットに、オフィスワークはコンピューターに代替されて行く。それに対し投資は、機械やコンピューターに代替されにくく(株式市場のような確立された領域ではプログラム売買が可能だが)、はるかに難易度が高い。労働で得られる賃金よりも、投資収益の方がはるかに大きくなるのは当然のことだろう。

絶望的に大きな格差が社会にとって好ましくないのは当然だ。不当な格差を解消するために、資産課税を財源に貧困層を救済するのは正しい政策だ。しかし、むやみに資産課税をすると、投資が縮小し、企業がリスクテイクをしなくなり、イノベーションが停滞してしまう。格差はなくなるものの、世の中が発展せず、みんな仲良く貧乏になってしまう。

その点、資産の中でも相続財産は、Kさんのようなリアル不労所得を生み出し、世代を超えて格差を固定化させる。格差解消のために、相続財産については、思い切って課税を強化するべきだ。今年1月から相続税が改正され課税が強化されたのは、以上から非常に好ましいことだと言えよう。

ただ悩ましいのは、世界には中国・香港・シンガポール・オーストラリアなど、相続税が存在しない国があることだ。富裕層の間では、節税のためにそうした国に資産を移動させる動きがすでに始まっているという。こうした抜け道を防ぐには、世界中の国が課税強化のために連携する必要がある。

せっかく世界的に盛り上がった格差論議を発展させて、ぜひ実効性のある仕組みを作って欲しいものである。

(日沖健、2015年2月9日)