2012年暮れに安倍政権が発足し、政府・日銀はアベノミクスと称してデフレ脱却を目指して金融緩和政策を推進してきた。いよいよ今年は、黒田日銀総裁が「物価上昇率2%」という政策目標を達成する期限の年である。
異次元の金融緩和によって、80円台だった為替は120円を超えるまで下落した。輸入物価の上昇などで、消費者物価はプラスに転じた。ただ、上昇率は1%を下回る水準にとどまり、目標の2%は達成困難だろうという市場の見解が増えている。
昨年4月の消費税増税の影響もあって、インフレに賃上げが追い付かず、実質賃金は昨年11月まで16か月連続で下落するなど、金融緩和の負の側面が意識されている。“黒田大明神”と崇められた一昨年と違い、日銀の緩和政策への風当たりは日増しに強まっている。しかし、原油価格の急落を受けて昨年10月末に追加緩和に踏み切ったように、目標達成に向けた黒田総裁の決意は固いようだ。
ところで、「今さら」という話しだが、日銀の目論見通り物価上昇率が2%になったら、そこにはどういう風景が広がっているのだろうか。
浜田宏一内閣官房参与などアベノミクスの参謀、岩田規久男日銀副総裁らリフレ派は、日本経済の長期停滞の元凶はデフレだという。金融緩和でインフレ期待を高めれば、GDPの6割を占める個人消費が増え、円安で輸出型の製造業を中心に生産が回復し、所得も増え、経済が力強く成長していくと考える。アメリカがリーマンショック後、FRBの金融緩和で蘇ったことなどを例に上げ、「金融緩和は世界的に成功が証明された政策だ」と言い切っている。
ここで検討が必要なのは、個人消費が増えないのは、本当にデフレマインドが国民に沁みついているからなのか、という点だ。個人的には、金融緩和でデフレマインドが払しょくできても、消費はあまり増えないように思う。
昨年4月の消費税増税を前にした1-3月、駆け込み需要で消費は盛り上がった。インフレ期待が消費を盛り上げたわけだ。一方、反動減の影響がなくなる7月以降、消費が力強く回復するという予想は見事に裏切られ、今日まで低迷が続いている。物価が上がって、国民は生活防衛のために消費を抑制したのだ。この2つの事実が端的に示すように、物価上昇によって、人々は「早く買わないといけない」と考えると同時に、「無駄なものを買わないようにしよう」とも考える。
どちらの影響が大きいだろうか。リフレ派は、デフレ脱却で消費が盛り上がると信じているが、現状を見る限り、物価上昇が消費を抑制する負の側面を無視できないのではないだろうか。
国民が物価上昇に直面して生活防衛のために消費を減らすのは、将来の生計に不安があるからだ。少子高齢化などによる年金財政の悪化で、今後年金支給額が減額されることは確実だ。年金制度そのものが崩壊するかもしれない。また、非正規雇用が1906万人に上り(2013年)、若年層を中心に多くの国民が不安定な生活を余儀なくされている。こうした年金や雇用に不安がある状況で、デフレから脱却しても、少しくらい賃上げが実現しても、国民は大盤振る舞いで消費を増やすより、将来に備えてせっせと貯蓄に励むことだろう。
日銀やアベノミクスの参謀たちは、大学の経済学の授業で習った通り、消費を現時点での所得の関数だと考えている。しかし、日本のような将来の生計に不安がある状況では、生涯全体で獲得する所得を考慮して消費を決めるというライフサイクル仮説がより説得力を持つ。
ライフサイクル仮説が当てはまるなら、日銀の目論見通りデフレ脱却に成功しても、今年の春闘で相当な賃上げが実現しても、思ったほど消費は伸びない。生産もあまり増えず、景気は低迷したままだ。もちろん、デフレ状態よりはインフレの方が良いのだが、政府・日銀は、異次元の金融緩和という壮大な社会実験に期待したほど効果がなかったと思い知ることだろう。
問題はその後だ。政府・日銀が金融緩和政策の限界を直視してくれれば良いが、「効果が出るのはこれから」「消費税増税で運が悪かった」などと考えるようでは困る。デフレ脱却を機に、問題はもっと他にあること認め、年金や雇用の抜本的な改革に踏み出すことができれば、日本経済が復活する道はあるように思う。
(日沖健、2015年1月19日)