正規雇用の呪縛を解き放とう

このところ、労働市場の改革が注目を集めている。人口減少に対応して働き手を増やすために、また他の先進国に比べて見劣りする労働生産性を向上させるために、安倍政権・厚生労働省は労働市場を改革する施策を立て続けに策定・公表している。

昨年は、女性の活躍を促進するためのさまざまな施策が打たれた。今年になって先週7日には、専門職労働者の労働時間規制を緩和するホワイトカラー・エグゼンプションの概要が明らかになった。また、9日の日経新聞によると、会社員が家族の介護のために取得する介護休業を取得しやすくする制度改正を行うという。

改革のキーワードは“柔軟性”と“多様性”だろう(政府がそう言っているわけではないが)。

日本では、学校を卒業して入社した男性労働者が定年までその企業に正社員として中心的に働き、女性や外国人労働者はパート・派遣など非正規労働者として男性労働者を必要に応じてサポートするという“一本足打法”である。また、労働市場が未発達で、成熟産業から成長産業、大企業から中小企業への労働者の移動も円滑ではない。

改革によって、こうした硬直的・一元的な労働市場や働き方が柔軟かつ多様なものになっていくものと期待される。女性活躍は数値目標の導入が見送りになったし、ホワイトカラー・エグゼンプションは対象を一部職種の年収1,075万円以上の専門労働者に限定するなど、まだ改革はまったく不十分だ。ただ、今回はあくまで突破口であって、これから改革が加速していくものと信じたい。

ところで、改革の中であまり真剣に検討されていないのが、正規・非正規という雇用区分の是非である。日本では、フルタイムで働く労働者が正規労働者または正社員、つまり労働者の正しい姿であるとされ、パート・アルバイト・派遣などは非正規労働者、つまり正しくない働き方をする労働者だとされている。そして、企業は社会保険・退職金・福利厚生など給料以外でも正社員を優遇し、国も税制や補助金を通して企業が正社員を長期雇用することを支援している。

正社員としてフルタイムで働くことにどこまで価値があるのだろうか。そして、今後も今まで通り正社員を優遇していくべきだろうか。

正社員を優遇すべきという理論的な根拠は、会社の成長・発展に大きく貢献するのは正社員だからだ、というものだ。ベッカーの人的資本理論によると、労働者のスキルには、英会話・パソコン・簿記のようにどの業種・どの企業でも使える汎用スキルと社内人脈・ノウハウなどその企業の中でしか価値を持たない企業特殊スキルがある。企業の成長・発展に重要なのは企業特殊スキルで、正社員は高度な企業特殊スキルを形成しているから手厚く優遇するべき、という考え方になる。

しかし、正社員がより大きな価値をもたらす、企業にとって好ましい存在だという前提は、疑わしくなっている。1980年代まで主流だった製造業の組み立て作業現場などでは、正社員として蓄積した社内人脈やノウハウを活かして働くことが有効だった。しかし、決められたことを効率的にこなすよりも、今までにない新しい価値を創り出すことが重要になると、企業特殊スキルの価値は小さくなっていく。

シュムペーターによると、イノベーション(革新)は経営資源の新しい結合である。中高年男性正社員だけが長時間ウンウン唸って考えるよりも、女性・若者・外国人といった多様な社員、あるいは消費者・取引先など社外の色々なタイプの関係者が寄ってたかって知恵を出し合う方が、はるかに良いアイデアが生まれるはずだ。イノベーションが重要な新しい時代には、正社員が非正規社員に対しアドバンテージを持っているとは言えなくなる。

本当に正社員が企業に大きな価値をもたらすなら、企業はその価値を正しく評価し高い賃金を払えば良いだけの話しだ。それを、厚生労働省が税制・補助金で正社員の長期雇用をことさら支援するのは、正社員で雇用が安定→収入が安定→生活が安定という論理を重視しているのだろう。

ただ、市場の変化や競争が激しい今日、企業が労働者に職場・仕事を提供し続けるのは容易ではない。労働者の側も、価値観やライフスタイルの多様化によって、必ずしもフルタイムの勤務を希望しなくなっている。厚生労働省が「理想的だから」という理由で安定した生活をしている正社員を優遇するのは説得力がない。「両親が揃った家庭の方が母子家庭よりも好ましいので、両親が揃った家庭に補助金を支給します」と言えば、誰もが「そりゃおかしい」と感じるだろう。

デンマークのように、正規・非正規という区分をしていない国もある。せっかく労働市場改革が踏み出したのだから、小手先の改革に終始せず、雇用のあり方を抜本的に見直し、多様性・柔軟性のある労働市場・働き方を実現して欲しいものである。

(日沖健、2015年1月12日)