職業としての翻訳

 

『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子の生涯を描いたNHK朝の連続ドラマ「花子とアン」が今週でフィナーレを迎える。私は観ていないが、村岡花子や葉山蓮子の生き方が視聴者の共感を呼び、大好評だったらしい。

 

同時に、翻訳家という職業が脚光を浴びることになった。古くはシドニー・シェルダンの作品の“超訳”、最近では『ハリー・ポッター』シリーズなどで翻訳が話題になることはあったが、翻訳家は、基本的には陽の当たらない、地味な職業である。ほとんどの日本人は、村岡花子以外で知っている翻訳家など一人もいないだろう。

 

しかし、翻訳家になりたい、プロにならないまでも翻訳書を出版したい、という人は意外に多い。先日も定年退職を迎えた方から、「翻訳書を出版したいのだが、どうすれば良いか?」という相談を受けた。

 

私は、過去『ハイインパクト・コンサルティング』『アメリカンブランド・ストーリー』という2冊の翻訳書を出版している。プロの翻訳家ではないので、「こうすれば翻訳家になれる、成功する」という秘策はないのだが、ビジネスとしての翻訳について考えていることを整理しておこう。

 

まず、率直な意見として、好きな翻訳さえできればお金はどうでもいいという人以外は、プロの翻訳家になるのは止めておいた方が無難だ。翻訳家は、恐ろしく儲からない商売だからだ。

 

著者の印税が定価の8~10%であるのに対し、翻訳家の印税率は3~6%と低水準だ。率が低い分、かなりの量の仕事をこなさないといけないが、これが難しい。不明点を調べたり、推敲したりとかなりの手間がかかる。私の場合、不慣れなせいもあって、執筆よりも翻訳の方がはるかに長時間を要した。専業でも、2カ月に1冊出版するのは困難であろう。よほどのヒット作に恵まれない限り、年収300万円を超えるのすら至難の業だ。

 

しがって、プロとしてやるより、副業として、あるいは老後の趣味として、お金を気にせず楽しむのが良いだろう。あるいは翻訳だけで生活したいなら、産業翻訳を主体にするべきだ。

 

プロの翻訳家になるにせよ、趣味でやるにせよ、出版のチャンスをどう掴むかが問題になる。大先生になれば次々と出版の話しが舞い込んでくるが、最初は自分から売り込んでいくしかない。この当たりは執筆と基本は同じで、斬新なテーマ、話題のテーマの書籍を探して、要約とサンプルを添えた企画書を出版社に提出する。一回ではなかなか通らないので、粘り強く何社かアプローチすることを覚悟しよう。

 

一点注意したいのは、出版社選びだ。そもそも翻訳を手掛けない出版社が多いし、出版社には必ず得手不得手がある。私の場合、最初の翻訳書『ハイインパクト・コンサルティング』は、コンサルタントの国家資格である中小企業診断士と関係が深い同友館から出版した。出版社の得意分野に近い企画だと、採用される確率が高まる。

 

最後に、良い翻訳とは何か、翻訳家に必要な能力は何だろうか。私見になるが、良い翻訳とは読みやすい日本語で書かれた文章である。外国語をそのまま直訳すると、どうしても硬い不自然な文章なってしまう。それを読みやすい日本語に転換する必要がある。村岡花子のように、英語が好きで翻訳家を志す人が多いだろうが、外国語ができるというのは最低条件で、日本語の表現技術に卓越することが何より大切だ。

 

私が翻訳書を出版しようと思い立ったのは、サラリーマン時代にアメリカに留学したとき、たまたま手にした『ハイインパクト・コンサルティング』に感銘を受け、「ぜひ日本の皆さんに紹介したい」と考えたことだ。プロの翻訳家はお勧めしないが、ビジネスパーソンが自分が感銘を受けた外国書を翻訳するのは、素晴らしいことであり、ぜひ挑戦していただきたいと思う。

 

(日沖健、2014年9月22日)