左翼からも右翼からも罵声を浴びる

先日、本欄「インボイス制度への批判は的外れ」で「インボイス制度で不利益を被りたくなかったら免税事業者から課税業者に変更すれば良い」と書いたところ、早々に左翼系の方から次のようなメッセージが届いた。

「お前の主張は中小企業に廃業しろ、経営者に死ねと言っているに等しい。無法者のデマだ。名誉毀損・脅迫罪など5つの罪に該当し、裁判になったらお前に勝ち目はないぞ。覚悟しろ」という罵声だった。

この方は、他にも「益税でメリットを得ているのは大企業だ」などと、「大企業=悪」というガチガチの左翼思想を披露していた。彼のメッセージの方がよっぽど名誉毀損・脅迫罪に当たると思うが、そういう狂信的な人に何を言っても無駄なので、反論せずに放っておいた。

では、私が左翼から嫌われているから、逆に右翼からは好かれているかと言うと、まったくそんなことはない。右翼からも嫌われている。

先日、本欄「日本人にとっての自由と平等」で「私は天皇制に反対の立場だ」「自由がない皇族の生活は人権侵害に当たり、看過できない」と書いたところ、右翼系の団体からメッセージが届いた。

「すべての日本人が天皇制を支持しているのに、反対というお前は日本人ではない。完璧な非国民だ。今後そういう歪んだ主張をしたら、ただで済むと思うな」

私は純粋に正しいと思っていることを書いているだけなのだが、左翼からも右翼からも罵声を浴びるという、傍から見ると悲惨な状態だ。親しい人からは、よく「余計なことを書かない方が良いのでは」と忠告される。その通りかもしれない。

私はTwitterをやっておらず、炎上させてページビューを稼ごうとかいう意図はまったくない。では、左翼・右翼から罵声を浴びながら、何のために20年以上も毎週欠かさず本欄を書いているのか。

一つは、自分の頭の整理のためだ。単にあれこれ考えるだけなら、日記を書いてほくそ笑んでいれば良い。ただ、毎週月曜日に本欄を更新すると決まっていると、書くためにあれこれと考える。毎週書くことで考えることが習慣化し、ずいぶん思考力が磨かれたように思う。

もう一つ、読者から色々な反応があることもありがたい。自分の考えに共感してもらえたらもちろん嬉しいし、今回のように左翼・右翼から罵声を浴びるのも、イモトのように秘境に行かなくても珍獣に出会えたと思えば、貴重な体験だ。最初の一瞬は腹が立つが、飲み会の良い話題になる。

1点目は「そうだろうね」と納得いただけるだろうが、2点目については、色々な見方があるかもしれない。

SNS全盛の時代で、どんな人でも自分の考えを気軽に発信できるようになった。ただ、気軽に発信できるということは、逆に受け手も読んだ感想を気軽に返信できる。当然、人の受け止めは色々で、賛辞もあれば罵声もある。賛辞だけが返ってくるということは、考えにくい。

世間では、SNS上のやり取りで精神的に病んでしまう人が多いらしい。もちろん、一方的な誹謗中傷は許せないが、反論や否定的な意見が来ることは、ある程度覚悟するべきではないだろうか。自分の意見を発信したい、でも否定的な意見は受け入れられない、というのは、ちょっと通らないのではないか。

SNSは共感も生むし、対立も生む。SNS時代に、発信への反応の「受け止め方」について、国民一人一人がしっかり考えるべきだと思う。

 

(2023年10月9日、日沖健)