シルバー民主主義を打破できるか

先週、選挙権を20歳から18歳に引き下げる公職選挙法の改正案が国会で可決した。来年以降に実施される選挙から適用される。国会では全会一致で法案を可決したが、内閣参与の飯島勲氏が「何も考えていないアホな未成年に選挙権を与えてよいのか」「むしろ25歳に引き上げるべきだ」「老人は仙人。もっと老人を尊重するべきだ」と公言しているように、世間では否定的意見も依然として多い。この問題をどう考えるべきだろうか。

この問題は、若者がどうこうというより、シルバー民主主義をどう捉えるかという問題だ。シルバー民主主義とは、少子高齢化に伴って有権者に占める高齢者の割合が高くなった結果、高齢者の利益が優先され、少数派になった若者の利益がないがしろにされてしまう現象を言う。年金問題で、政府が高齢者の反発を恐れて物価スライドの適用を見送ったように、シルバー民主主義の弊害が目立つようになっている。年金だけでなく、医療・介護・税制など、若者を犠牲にして高齢者に優遇する政策が広がっていくと懸念される。

高度成長期のように、国全体のパイが広がる状況なら、全ての年齢層で国民の利益が増えるので、世代間の対立は起きにくい。しかし、現在そして今後のようにゼロ成長・マイナス成長になると、他の世代から収奪しないと自分たちの利益が増えないので、対立が激化する。今後、高齢者は、いよいよ若者から収奪することになるだろう。

今回の公職選挙法改正で、若者が政治に参加するようになり、シルバー民主主義の弊害を是正していくことが期待される。たしかに、飯島氏が指摘するように頼りない若者は多いかもしれないが、だからこそ、まず政治に参加してもらい、真剣に政治と向き合ってもらうことが必要ではないだろうか。

ただし、今回の改正は貴重な第一歩ではあるが、シルバー民主主義を打破するには“焼け石に水”という印象は拭えない。

現在、60~64歳は967万人いるのに、20~24歳は620万人に過ぎない(総務省統計局、昨年10月現在)。しかも、投票率は60代が68%であるのに対し、20代は32%に過ぎない(昨年12月の衆議院選)。若者の投票率が低いことについては色々な原因があるが、「どうせ選挙に行っても何も変わらない」と諦め気分になり、投票所に足が遠のいている可能性がある。弱者がますます自らを弱い立場に追い込んでしまう悪循環に陥っている。

今回のように若い有権者を増やすだけでは不十分で、学校教育で選挙の重要性を教えるなど、若者の投票率を上げるための取り組みが必要だ。さらに、まったくの私案だが、実際に投票所で投票した有権者に1人1万円を現金支給するというのはどうだろう。投票しない人は、政治的決定を他人に任せているのだから、その委託コストを間接的に支払ってもらうわけだ。

ただ、そういった取り組みで若者の投票率を上げても、高齢者の圧倒的な数の論理からすると、シルバー民主主義を打破するにはなお力不足だ。ここは、一歩進めて、高齢者の選挙権を制限する必要はないだろうか。

ぜひ実現してほしい選挙制度改革の私案がもう2つある。一つは、後期高齢者の選挙権をはく奪することだ。18歳未満の若者に選挙権を与えていないのは、まだ政治的な判断をすることができないという認識からだ。同じ理由で、判断力が鈍った後期高齢者から選挙権をはく奪するというのは、十分に正当化できるはずだ。

もう一つは、余命に応じて票数に格差を付けることだ。たとえば、各年齢層に「平均余命÷10歳」の票を与える。20歳台は余命60年なので6票、70歳台は余命10年なので1票という具合だ。余命の長い人が国の将来を主体的に決めていくというのは、自然な考え方ではないだろうか。

以上は高齢者にとって厳しい施策だが、これくらい思い切ったことをしないとシルバー民主主義は是正されない。そして、少子高齢化が加速する日本では、時間が経つほど是正が難しくなる。

今回、飯島氏のような高齢者の声を抑えて国会が全会一致で法案を成立させたのは、国会議員にシルバー民主主義に対する危機感とともに、国の将来を思う良識があったのだと信じたい。国会議員に良識があり、手遅れにならないうちに、是非思い切った改革を実現してほしいものである。

                                       (日沖健、2015年6月22日)